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アルビレックス新潟: 2007年8月アーカイブ

先日テレビでニュースを見ていたら、「サッカー指導で被災地を激励」ってことで、岡ちゃん元日本代表監督と岩本テルが柏崎に来た様子を映していた。

テルだー。なつかしーなー。

これは仙台にいたころのテル。ほっぺが赤いw
20011006-1.jpg
岩本輝雄in仙台スタジアム@2001年10月6日

なぜテルが笑っているかというとですね、これはコーナーキックを蹴りにきたところなんだけど、うちらはこのころ、ブーイングなんていう無粋なことはせずにですね、かわいいテルを「キャーイング」で迎えていたのだ!w
仙スタなんで、選手との距離は近い。
眼前にやってくるテルに、アルビサポ婦女子から湧き上がる
「キャーーーーーー!テルーーーーーー!」
「テルーーーーゥゥゥゥウウ!!」
の黄(土)色い声援!
さすがの(さすがかよ)テルもニガワラwww


かわいいテルのついでに、コイツwも載せておいてあげよう。
20011006-2.jpg
森勇介in仙台スタジアム@同日

ウジが猛チャージでボールを奪取したところ、派手に吹っ飛んでみせる森ユースケ。
審判へのアピールで猛烈に痛がってみせて、無事ファウルを取ってもらったところで元気よくピョコンと立ち上がる。なんて奴だ!ざけんなよ!試合も終わり間際でみな気が立っていたので、殺気だった瞬間だ。

20011006-3.jpg

この日の試合は、世界的に有名なゴールゲッター「オウンゴール」選手が後半、仙台で得点後に電撃的に新潟移籍を果たすというおどろべき展開があったものの、仙台4-2新潟で敗北を喫す。

あれっ?
このスクリーン見ると、「オウンゴール」じゃなくて「オンゴール」になってますがな。
これって仙台弁?(ちがいます)


【余談】
野澤がマルコスのPKを弾いたものの、つめていた仙台の光岡にゴールを決められてしまった。PKはキーパーも大事だけど、そのあとの守備陣の集中もすごく大事なんだよ。このときは、神さんもマルキーニョも西ヶ谷くんも、棒立ちだったもんなあ・・・。ショックでした。
先日の神戸戦で思ったけれど、北野が止めた後のDFのダッシュがすごかった。アルビレックス新潟も、今やすっかり違うレベルで戦っているのだなあと、なんかしみじみ思いました。まる。

ほぼ満員のスタジアムを見渡しながら、オットがよく「『柿の種』みたいだなあw」と言う。
2階ペアシートから見るとたしかに、オレンジ色のレプリカユニフォームをまとって席に座る観客たちは、その一人ひとりが「柿の種」一粒一粒のように見える。ところどころに混じる白っぽいTシャツ姿は、ちょうど「ピーナッツ」のようだし。

正式名称は「東北電力ビッグスワンスタジアム」でいいけど、愛称は「柿の種スタジアム」でいいんじゃないかと、まったくもって思う今日この頃。(そういうわけにはいかんじゃろうw)

スタジアムはいつ頃からこんなにオレンジになったのだろう?
サポーターはいつ頃から当たり前のようにアウェーに参戦するようになったのだろう?

  • 2001年も狂乱のシーズンだった。@hama
  • 浅妻信の風と共に蹴りぬ-第23回「プレイバック2001(5)」
    この試合は大事な試合だから見に行く、などという理由付けはとうになくなっていた。「そこに山があるから」という有名なセリフがあるが、「そこに試合があ るから」見に行っていたにすぎない。大げさに言えば運命共同体。生まれたての醜いアヒルの子だった僕らサポーターも、1シーズンの激闘と、そしてちょっと ばかりのしょっぱい経験を経て、いっぱしのサポーターになろうとしていた。
  • hamaのサッカー日記-新潟サポーターの進歩1
  • hamaのサッカー日記-新潟サポーターの進歩2


ビッグスワンこけらおとしの京都戦@2001.5.13
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3万人入ったこの試合でさえ、G裏の中心部の周りはスカスカで、通路をはさんで隣のブロックは、フツーの格好の人だったり(ネクタイ姿の人もいるなあ)


2001年をワンシーズン戦い抜き(Vゴールの大分戦、ナミダのアウェイ仙台戦、「俺たちも諦めていない」水戸戦、呆然の京都戦、非情な雨のアウェイ山形戦、つきぬけた川崎戦@町田は東京)、そして迎えた最終戦。

シーズン最終戦の湘南戦@2001.11.16
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いつの間にかG裏はこんな状態になっていた・・・w

ちなみに2001年リーグ戦の最終ゴールは、テラのVゴール。
20011116-3.jpg
湘南戦というとなぜか延長になることが多くて、思い出すと脳味噌が沸騰しそうになりますなw。


ちなみに、大きいサイズのG裏写真はこちら

フルサイズで見ると、一人ひとりの顔が判別できます。
kumaさんやみの~くんはすぐ見つかるから、これが判っても初心者レベルねw
このなかから浅妻さんを見つけた人は上級者です。見つけると、浅妻さんから豪華景品が贈られますw

なお、ジジイを見つけてもポイントにはなりません。

クーラーの効きも悪くなるほどの猛暑のひと時、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。


お盆休みのようなものに入ったので、あいかわらずコツコツ写真整理を続けております。

で、こちらのコメントで姉さんが触れておいでの、セイゴローの倉庫の中格納されていた「さわやかスマイルの鳴尾」の証拠写真が見つかったにゃw


新潟スタジアム倉庫@2001年11月3日(クリックで大きく)

これ、そももそは「サポーターズクラブ」への入会を呼びかけるための立て看板で、2000年の市陸のホームゲームのときに正面のテント前とかに立ててあったのねん。妙な手つきwのナルの左手の部分をよーく見ると、透明なプラスチックケースが貼り付けてあるのがわかるかな?そのケース部分に、入会申込のリーフレットが入れてあったのさ。

雨だの直射日光だのに晒されて、すっかりベコベコになってしまった等身大鳴尾くん。
それでも2000年のシーズンが終わったばかりのころは、こんなに酷い状態じゃなかったような気がするよねえ・・・
なにせ、このシーズン限りで鳴尾がチームを去るという話が決まった後、「思い出に、あの等身大鳴尾くんが欲しい!」っていうファンがたくさんいたくらいだし。中野専務(現社長)に頼み込んで、「だーめっ!」って断られてた人もいたなあw


その後しばらく、市陸内の部屋にひっそりと飾られていたという目撃談もあったが、新潟スタジアムでホームゲームをするようになってから、そっちの倉庫に運ばれてきたらしい。

しかし、2002年のワールドカップ開催前に、アルビレックス関連のものは全部倉庫から出してくれ、っていうふうに県のほうから言われて、スタジアムの倉庫にあったものはすべて、いったん美咲町の事務所なりに引き上げてきたものと思われる。

そしてその後、この鳴尾くんがどうなっているのか、その行方を知る者はいない・・・


おおっと、あと30分もするとG大阪戦が始まりますな。
プレイバックしてる場合じゃなくなってきたっす。
今夜は一人でカニ祭りwww

浅妻信の風と共に蹴りぬ-第22回「プレイバック2001(4)

まだまだ続く、連動企画w


浅妻さんが「いまだにその興奮が忘れられない試合」と書いている2001年第35節の大分戦。
この日の観客数37,075人は、当時のJ2記録を更新。

この試合は私自身も忘れられない試合の一つ。
ちょうどビッグフラッグのデザイン投票が行われた試合で、当日は早めにスタジアム入りして、投票の準備や呼びかけ・写真撮影などを行っていた。その関係上、この日はメインスタンドではなくて、めずらしくバックスタンドで観戦していたのであーる。


寺川がゴール後、両手をあげてゴール裏サポーターに向かって走ってきたシーンは、それこそ100年史にも載せるべきショットであろう。」@浅妻信

それが、これだ。(小さい写真でスイマセン。クリックで拡大)


普段サポーターに対してはとっても無口で、あまり感情を表に出さない寺川が、こんなふうに喜びをむき出しにしてG裏に向かって走っていく姿は、Vゴールで脳味噌が沸騰しているサポーターの心を激しく揺さぶったのだった。ぐぉーーーーーーーん


で、詳しい撮影データが残ってないので正確でないかもしれないんだけど、寺川Vゴールの写真がこちら。

アンドラジーニャがあげたセンタリングを、クロさんが競ってこぼれて・・・
20010929-2.jpg

走りこんできた寺川が左でゴール!
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ちなみに「新潟 2v - 1 大分」で、大分の1点は船越w
船越とセルジオのマッチアップっていうのも、いつみても見ごたえあったなあ!

浅妻信の風と共に蹴りぬ-第22回「プレイバック2001(4)

浅妻さんのプレイバックコラム、次回で終わりだそうである(><)
この週末からリーグ戦再開、となれば、それもしょうがないか。



太夫浜で練見@2001年3月3日

クロさんのリーゼントが、すごいなあ・・・www
マサもカワイイね。


でも、注目すべきはそんなことではなく、浅妻コラムで触れられている、ソウザとリンドマール。
その二人の貴重なツーショットがこれw

リンドマールはスタメンでの出場は1試合もなし、ソウザにいたってはついにベンチ入りさえなかったという、ビックリ記録(リンドマールも8節以降はベンチ入りなし)。メインスタンド観戦が常だった私にとって、彼らが家族と一緒にスタンド観戦している姿を間近で見るのは、正直、苦痛以外の何ものでもなかった。チームにとっても彼らにとっても、不幸な時間だったと思う。

助っ人FWがこんな調子だったので、クロさんも体のあちこちを痛めながらも頑張らざるをえなかったのだ。夏にアンドラジーニャがやってくるまでは・・・。

浅妻信の風と共に蹴りぬ-第21回「プレイバック2001(3)」


浅妻さんが「恵まれた体躯を生かした抜群のポストプレーから、左右両足からのキャノン砲が炸裂」と書いているように、2001年のクロさんのポストプレーは本当にすばらしかった。ペナルティエリア内で相手DFを背にしたときの強さといったら、もう・・・。


水戸戦@市陸(2001.7.11)


京都戦@新潟スタジアム(2001.5.19)

ポストによくボールが収まるので、攻撃のチャンスが増える。
このシーズンは、氏原が、テラが、慎吾が、本当によく得点を決めた。

もちろん、クロさん自身も抜群の得点能力を遺憾なく発揮してくれた。シーズンで20点以上取ったのは、チーム史上、黒崎とマルクスだけではないだろうかしら?
京都戦では、このまま振り向きざまに打ったシュートが、記念すべきビッグスワンの初ゴール。
時にはこんなミドルが炸裂して、スタジアムをしびれさせたw


2001年は、そう。まったくワクワクした年だったよね。
監督が代わり、新しいスタジアムがオープンし、TGPが始まり、etc...etc...
結局最終的には一度も昇格ラインに達しなかったのだけれど、それでも初めて昇格が具体的な目標になったこと、「J1昇格に絡む」位置にいられたこと、この年の経験はチームにとっても、サポーターにとっても貴重なものだったと思う。


ちなみにビッグスワン杮落としの客席は。

「ゴール裏サポーターも、これまでふたつに分かれていた団体を、この晴れの日を前にひとつにまとめた」とは言っても、そんな大人数のG裏集団が出現したわけではない。VAMOSの旗の上のほうに集まってるオレンジが濃い部分、これが当時の中心部。前のほうなんてスカスカだしね。

ここから一気に爆発するわけではなく、杮落としの京都戦以降の新潟スタジアムの入場者数は、鳥栖戦19391 人、湘南戦12707人、山形戦11384人と1万人台が続く・・・。仙台戦・川崎戦でなんとか2万人台に乗せ、終盤の大一番、京都戦(ビッグフラッグ完成のお披露目あり)で初めて4万人を突破。
このあいだに、テールゲートパーティがあったり「おーちゃんバス」が始まったり、ビッグフラッグの募金があったり、いろんなイベントがあって飲んだり歌ったりw、盛り上がっていくわけです。

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カテゴリ:アルビレックス新潟2007年8月

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