プレイバック・アルビレックス 7


ほぼ満員のスタジアムを見渡しながら、オットがよく「『柿の種』みたいだなあw」と言う。
2階ペアシートから見るとたしかに、オレンジ色のレプリカユニフォームをまとって席に座る観客たちは、その一人ひとりが「柿の種」一粒一粒のように見える。ところどころに混じる白っぽいTシャツ姿は、ちょうど「ピーナッツ」のようだし。 正式名称は「東北電力ビッグスワンスタジアム」でいいけど、愛称は「柿の種スタジアム」でいいんじゃないかと、まったくもって思う今日この頃。(そういうわけにはいかんじゃろうw) スタジアムはいつ頃からこんなにオレンジになったのだろう?
サポーターはいつ頃から当たり前のようにアウェーに参戦するようになったのだろう? 2001年も狂乱のシーズンだった。@hama浅妻信の風と共に蹴りぬ−第23回「プレイバック2001(5)」
この試合は大事な試合だから見に行く、などという理由付けはとうになくなっていた。「そこに山があるから」という有名なセリフがあるが、「そこに試合があ るから」見に行っていたにすぎない。大げさに言えば運命共同体。生まれたての醜いアヒルの子だった僕らサポーターも、1シーズンの激闘と、そしてちょっと ばかりのしょっぱい経験を経て、いっぱしのサポーターになろうとしていた。hamaのサッカー日記−新潟サポーターの進歩1hamaのサッカー日記−新潟サポーターの進歩2


ビッグスワンこけらおとしの京都戦@2001.5.13

3万人入ったこの試合でさえ、G裏の中心部の周りはスカスカで、通路をはさんで隣のブロックは、フツーの格好の人だったり(ネクタイ姿の人もいるなあ)
2001年をワンシーズン戦い抜き(Vゴールの大分戦、ナミダのアウェイ仙台戦、「俺たちも諦めていない」水戸戦、呆然の京都戦、非情な雨のアウェイ山形戦、つきぬけた川崎戦@町田は東京)、そして迎えた最終戦。 シーズン最終戦の湘南戦@2001.11.16

いつの間にかG裏はこんな状態になっていた・・・w ちなみに2001年リーグ戦の最終ゴールは、テラのVゴール。

湘南戦というとなぜか延長になることが多くて、思い出すと脳味噌が沸騰しそうになりますなw。
ちなみに、大きいサイズのG裏写真はこちら フルサイズで見ると、一人ひとりの顔が判別できます。
kumaさんやみの〜くんはすぐ見つかるから、これが判っても初心者レベルねw
このなかから浅妻さんを見つけた人は上級者です。見つけると、浅妻さんから豪華景品が贈られますw なお、ジジイを見つけてもポイントにはなりません。

[08/20 12:48]

Comments(5) Trackbacks(0)
「栗原圭介」にも歴史あり だなあ・・・
渚@管理人 :08/20
(゜ー゜)(。_。)(゜-゜)(。_。) 今もありますよねー、この談麦。
u-co :08/20
うわ、失礼しました。談麦→断幕
u-co :08/20
みな笑顔なのは、試合後だからなのでしょうか?
ジジイ :08/20
>みな笑顔 試合後に、選手が挨拶に来たときの写真。
勝ち試合だから、みんな笑顔だよね。
昇格はできなかったけど、来季に向けて確かな手ごたえつかんだぞ、
みたいな最終戦だったと思うし。
それまでの最終戦って、ほら、99年は「芝生に入るなよー!」の
FC東京戦だし、2000年は「負けても胴上げ」の札幌戦だし、
こういう感じにならなかったものねえ。

渚@管理人 :08/21

TOP