「毎日、寝て起きて、食べて。
それ以外にすることがない。」
なんて悲しいことなんだろう。
全ての人に、つつましいながらも日々の暮らしがあったはずなのに。
自分だったらどうだろう。
なにも予定のない日曜日。
しばらく片づけてなかった押入れの整理でもするか、とか、
涼しくなってきたから庭の草取りしようか、とか、
好きだった本を読み返してみようか、とか、
去年着たセーターの袖のほつれを直しておこう、とか。
何かしら「すること」が思いつく。
何もかも失ってしまった人にとっては
片づけるべきゴミすらもない。
自分の庭もない。
懐かしい本も写真も、着古した服もない。
真新しい仮設住宅の部屋で
少ない家具に囲まれて
ただポツンとたたずむ。
ご飯を食べるとき、違和感が抜けない、という。
長いこと使っていた茶碗やお皿がひとつもない。
煮物にはこの器、焼き魚の時にはこのお皿。
どこの家でも使い慣れた定番の食器があったはず。
手になじまないお椀でご飯を食べるたびに
「喪失感」を味わう、という悲しさ。
だいたいにおいて、人間って、
「半分くらいは思い出でできている」もんだと思う。
夫婦や友人だって、思い出を共有しているからこそ
少ない言葉でも理解しあえるものだと思うし。
「思い出」を失ってしまった人は
あるいは
「思い出を共有する人」を失ってしまった人は
これから何をたよりに生きていくのだろう。
私は何ができるのだろう・・・・・・