国民の一人として

「国民の皆様へ」

というレターが届いたのです。
お国の偉い方から。

そうです。
何を隠そう私は
田代島にゃんこ共和国」の国民なのです!

宮城県石巻の田代島のにゃんこたちのことは、
岩合光昭さんの写真集で知っていて、
写真展を見に行ったころから
「あったかくなったら行ってみようね」と言ってたのですが、
そのわずか2ヶ月後にあの大震災と津波・・・

人的被害は少なかったようですが
船着き場が壊れて船がつけなくなったり
漁業用具が全て流されて主要な産業だった牡蠣の養殖などができなくなったり
島の人たちが再びそこで暮らしていけるかどうか、っていう
大変な状況に置かれたわけです。

田代島のかわいいにゃんこたちのために何かしよう、ってことで
支援基金に申し込んだわけですね。1年ちょっと前に。

したらば、晴れて国民として認められて「国民証」が送られてきたわけですが、
このたび、国民共通のグッズとして
マルチポーチと猫の手ストラップがきましたのだ!
くぅぅ。

あと数年経つと、いま一生懸命漁師さんたちが育てている田代島の牡蠣がやってくることになっています。
いや、牡蠣が欲しくて支援金振り込んだわけじゃないんだけど、
立派な牡蠣を育てて出荷するっていうことが現地の人たちの目標であり励みであると思うから、
それを受け取ることがすごく楽しみ。
それまでに引っ越してしまうかもしれないから、ちゃんと「国」に住所変更届をしなくてはね。

田代島の、震災後からこれまでの歩みと、にゃんこたちの様子は、
田代島にゃんこザプロジェクト 田代島便り
を最初からずーーっと読むとよいですよ。

支援金を使って、島の公衆トイレも再建されつつあるようです。

落ち着いたら今度こそ、田代島のにゃんこに会いに行くぞ!
国民と義務として!(笑)



仙台市荒浜地区に行きました

お盆で帰省したついてに、約1年ぶりに仙台市の荒浜地区を訪れました。

仙台南部道路を通って仙台空港に行ってから、県道10号線をずーっと北上して、七北田川の橋を超えるところまでいきました(キリンビール仙台工場があるあたり)。

まず、仙台東部道路より西側は、昨年は作付けできていない田んぼがたくさんあったのですが、今年は多くの田んぼできれいに稲穂が揃って、緑のじゅうたんになっていました。
東部道路より東の、海側の土地は、がれきの片づけは済んだものの、今年も作付けは無理だったようです。ところどころ茶色く土が盛ってある田んぼがあり、近寄って見ると、塩分除去の試験作業中であるような看板が立っていました。土の入れ替えをしているのかな?地盤沈下の影響もあって、津波で押し寄せた海水が長いこと滞留した状態になっていたところですから、貯まった塩分はそう簡単になくならないのでしょうね。来年は、お米がつくれるようになるのかしら・・・。いつまでかかるのかしら・・・。

それでも、名取川より南の名取市側は、住宅地に新しい家が建ったり、震災二ヶ月後くらに見た様子とはだいぶ変わっていました。

が、閖上地区を右手に見つつ橋をわたり、仙台市側にはいると状況は一変します。
1年前にここにきたときと、ほとんど様子が変わっていません。
もちろん田んぼにあった大きな木(防砂林として植えられていた松の木)の根っこだの、家の残骸だの、おびただしい自動車だのはすっかり片づけられていましたけど、津波で流されてしまった直後の「何もない」光景が続いていました。雑草が生えていましたが、あまり背の高い草はなく、これも塩分の影響なのかしらと思いました。

荒浜地区。県道10号線から東(海岸)方向を臨む。わずかに残った家も、窓がベニヤ板でふさがれている。松林は貞山堀ぞいにあった防砂林と思われる。

道路から少し入ったところに、20基くらいのお墓がある墓地がありました。
お寺の痕跡のようなものは見当たらなかったので、いわゆる集落墓みたいなものかと思います。
墓石はおそらく地震や津波で倒れたのでしょう。それが、まったくそのままになっていました。
そして、そこに数人のご家族連れが、お盆の供物を備えにやってきていたようでした。
本当に悲しい光景でした。

2階まで津波が到達した荒浜小学校の体育館。避難者を体育館に入れず、校舎の上階に上げたため、ここでの津波の死亡者はなかったという。小学校校舎は現在使われていない。


このあたりは、仙台市から「災害危険区域」に指定されて、住宅の新築が禁止されたのですね。
家が残っていればそれを修理して住むことは可能らしいのですが、何しろ、家がほとんど残っていません。土台すら流されてしまっているところも多数です。
区域外への集団移転を求められているようですが、それとて、各人の事情があり、なかなか話が進んでいないように聞きます。
何とかしたくても身動きが取れない。
何がベストなのか、ベターなのか。
どうしたらいいか分からないです。
そして、時間が経てば経つほど、困難も増えていきます。

荒浜小学校近くの民家。1年半経っても、そのままの姿で残っている。

もうすぐ震災から1年半が経とうとしていますが、復旧が進んでいるところもあれば、このあたりのように「何も変わっていない」地域もまだまだたくさんあるのだということを、忘れずにいたいと思います。



復興する。

何もかもが流されてしまった津波の被災地で、
人々が以前のような暮らしを取り戻すためには・・・

今現在たくさんの支援が必要なことは言うまでもないですが
やっぱり、「仕事」「収入」が何とかならないことには根本的な解決にならないと思うのですね。

そうしたなか、こんな取り組みがあります。

「復興市場」
被災地のお店は、店舗が流されてしまって商売ができません。
でも、これまで商売されてきた実績はありますから、仕入れのルートがあるのですね。
お客様から注文を受けて、在庫を持たないで配達することができれば、
商売は再開できるのです。
そのシステムを構築されたのが「復興市場」さんです。

Amazonの欲しいものリスト等で被災地に支援物資を送ることはできますが、
「復興市場」さんの場合には、被災地のお店から物資を買って被災者の方に送ることができます。

ブログのほうでは、物資配達の様子も分かります。
物資を届けるお店の人も、受け取る被災者の方も、笑顔がまぶしいです!
みなさんもぜひ、ご覧になってみてください。

小さな復興プロジェクト
こちらは、女川で漁業関連の仕事をしていたお母さんたちが
手作りのキーホルダーを販売しています。
「ホントのお魚がとれるまで・・」
つい先日ようやく電気が通るようになった工場で
女川の皆さんが働いていらっしゃいます。
興味のある方はどうぞ、購入くださいね。

田代島にゃんこ・ザ・プロジェクト
岩合光昭さんの写真集でも有名な猫の島「田代島」も、今回の津波で大きな被害を受けました。
田代島の漁業(カキの養殖)復興と猫ちゃんたちの保護のための基金を募集しています。
1口1万円で、目標1億5千万円のうち、すでに9千万円以上が集まっています。
この資金で地元の漁業者の方たちがカキの養殖を再開できます。
数年後においしい田代島のカキが手元に届く!楽しみです!



避難所からのお便り

昨日家に帰ったら、1通のハガキが届いていました。

少し前に支援物資を送った避難所の住所が、差出人のご住所でした。

そこは、ある小学校の体育館で、
数百人の方が生活しておられるところでした。

ふんばろう東日本」というサイトで、この避難所にいる方が
ヘアアイロンが欲しいとおっしゃってることを知りました。
私んちに、数回使っただけでお蔵入りしているヘアアイロンがあるので
新品でなくてもかまわないかどうか、型番も含めてお伝えして、
担当者に伺ったところ、「大丈夫です」ということだったので、お送りしました。

個人宛ではなく、避難所宛にお送りした物ですから
お礼状がくるとは思ってなかったんですけど
やっぱり嬉しかったですね。

ハガキには
浸水した家と職場と体育館を往復する生活の中で
支援物資のおかげで心に余裕が生まれたこと
本当にありがたく思っていること
などが書かれておりました。

そちらの避難所は、先週いっぱいで閉鎖になった場所なので、
避難所を出るにあたり、被災者の方みなさんで手分けして
支援物資を送った方にお礼状を書かれたのかな、と思います。

今はそれぞれが、仮設住宅に移ったり、アパートのようなところに移ったり、
新しい生活に足を踏み出していかれるのだと思います。
これから生活を再建されるのに、また大変な日々が続くことと思いますが、
少しでもお役に立てればな、と思います。

◆・・・・・・・・・・・・・・・・・・

支援物資として「ヘアアイロンは贅沢!」といったような風潮を、最近見かけます。

が、私自身、「髪の毛がバクハツ」するタイプ(笑)で、
ちゃんと手入れできないと外にも出かけられない、っていう気持ちはものすごく分かるし、
何せ使ってなくて家で眠っているものを役立ててくれるんなら
こんなに嬉しいことはないと思って、お送りしました。

毎日使っていたものが、ある突然に全て流されてしまった、そんな時に
「これまで使っていたものと同じものが欲しい」
というのは、自然だと思うんですよね、私。
ギャンブルで全財産なくした、とかいうならともかく、何ら本人たちに落ち度がなく
いきなり何もない生活に突き落とされているわけですから・・・

生活の目処がたっているなら「それまでは我慢しよう」とかいうのもあるでしょうけど、
全く展望もない生活の中で、「今は非常時だから我慢しろ」っていうのは
ちょっと違うんでないか?と。

震災から3ヶ月が経とうとしてますが
支援する人の側にも「支援疲れ」みたいな雰囲気を感じます。
こんなに支援してもまだ足りないの?みたいな・・・

もう足りてる部分もあるんでしょうけど、
全然足りてないところもありますよ。
ライフラインの復旧だけが問題じゃないと思います。

三陸沿岸の小さな地域に暮らしてた人たちは
漁業と少しばかりの畑で、けっこう自給して暮らしてた部分があります。
それが、船は流される、家も畑も流される、で、
いきなり毎日買い物して暮らせ、って言われたら、そりゃ不安ですよ。
近くのスーパーが営業再開したからそこで買ってこい、って言われてもね。

そういう、これまで暮らしてきた生活の様式、そういうものが元に戻らないと
暮らしはなりたたないんじゃないかと、私は思っています。
そこを「元に戻す」こと自体がもう無理なのかもしれませんが
それなら「新しい暮らし方」が成り立つまでは支援が必要だと、そう思います。

支援する側も、あれもこれもがんばろうとしすぎると、その反動で
「こんなものまで要求するなんて贅沢!」
「私はそこまで支援はできない」
なんていう気持ちになってしまうんじゃないでしょうかね。

できることを、ちょっとずつ。
それでいいじゃないですか?
がんばりすぎて、できるはずのことまでやらなくなってしまうっていうのが
一番バカバカしいですよ。



マイナス26%

5月分の、電気使用量のお知らせがきたのです。

細長い伝票に、4月中旬?5月中旬までの使用量が書いてあって、
下のほうには、昨年の同時期にはいくら使ったが表示してあります。

いや、だいぶ今年は減ってるな、節電に勤しんだ結果だな、と思い
計算してみると、なんと電気使用量が昨年同月比で、
マイナス26%!

工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工

いくらなんでも、そんなに???

よくよく日記などをたどってみると、
昨年は連休前に体調を崩し、連休中は高熱を発してずっと寝込んでいたのでした。
それに比べて今年の連休は、実家に帰ったり横浜に遊びにいったりしたので
家にいない日が多かった分、自動的に節電になったのかな、とか・・・

それにしても、こうやって数字と金額を見るとやる気がわきますね(笑)
引き続き節電に努めるでごわす!



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