ぼくのプレミア・ライフ 1

この本、3ページ読んで止めちゃった人もいるようだけどw、それはちょっともったいない。
そりゃあ確かに、読みやすい本とは言えない。
翻訳物につきものの、もってまわった言い回し。
それに、現地に住んでいなければ感じ取ることの出来ないような比喩表現の連続。
だけど。
愛するマイチームを持つものなら分かる、共通の思いが随所に書かれていて、たまに開きなおしてみると、引用したいような箇所がたくさん見つかる。一応時系列にはなっているけど、短いエピソードに分かれているので、どこから開いて読み出してもそれなりにおもしろく読めると思う。

ぼくのプレミア・ライフ
4102202129 ニック ホーンビィ Nick Hornby 森田 義信
新潮社 2000-02
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いま共感しているのは、このくだり(長い引用)

巨大なフットボール・スタジアムにおける喜びとは、本来、作り手と受け手の関係において感じられるべきものだ。スタジアムの雰囲気を作っていたのは、ノース・バンク、ザ・カップ、ストレトフォード・エンドといった場所に陣取った観客だ。ほかの場所にいる観客は彼らの作った雰囲気を享受して楽しんでいた。フットボール体験において、スタジアムの雰囲気は大切な要素のひとつだと言っていい。
(略)
アーセナルもマンチェスター・ユナイテッドもほかのクラブも、人々は高い金を払ってでもポール・マーソンやライアン・ギグスを見に来ると思っているらしい。もちろん、そのとおりだろう。しかし、20ポンドの席やエグゼクティブ・ボックスに座っている観客がそれだけのカネを払うのは、ポール・マーソンを見ている観客を眺め、彼に向かって叫んでいる観客の声を聞くためでもある。スタジアムがエグゼクティブで埋めつくされたら、誰がエグゼクティブ・ボックスに座りたいなんて思うだろうか。クラブがエグゼクティブ・ボックスなどというものを作ったのは、スタジアムの雰囲気作りを軽んじているからだ。
(略)
郊外の中流のガキや、そいつのパパやママが自分たちで雰囲気を作らなければならなくなったとしたら、彼らはスタジアムに来てくれるだろうか。逆にだまされたと思うのではないだろうか。

これは、サポーター同士のいざこざ防止や新スタジアム建設資金捻出のため、アーセナルが立ち見席の廃止とチケット代金値上げを打ち出したとき(だと思うんだけど)の、筆者の感想。ハイベリーのノース・バンク(いわゆるサポーター席。つまり「N」だねw)に陣取る熱い観客たちを軽視するチームの姿勢を、痛烈に批判している。
これを読んで、あたしゃ、おもわず膝を打ったね。
「えげれすの兄さん、いいこと言った!」
もちろん、勘違いしちゃいけない(これは、双方ともだが)。G裏の連中は別に、スタジアムの雰囲気作りのために太鼓を叩き、ゲーフラを掲げ、コールをしているわけじゃない。そこんとこを十分踏まえた上で、やっぱりあたしゃ、あのスタジアムの雰囲気にしびれたりする。このシアワセがいつまでも続きますように!(祈りのぽおず)と思う。
と、尻切れトンボにおわるwww
なお、これが「1」なのは、引き続き、別の箇所を引用しながらこの本を読み潰して行こうという、そういう目論見で。



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