プレイバック・アルビレックス 3

浅妻信の風と共に蹴りぬ?第21回「プレイバック2001(3)」
浅妻さんが「恵まれた体躯を生かした抜群のポストプレーから、左右両足からのキャノン砲が炸裂」と書いているように、2001年のクロさんのポストプレーは本当にすばらしかった。ペナルティエリア内で相手DFを背にしたときの強さといったら、もう・・・。

水戸戦@市陸(2001.7.11)

京都戦@新潟スタジアム(2001.5.19)
ポストによくボールが収まるので、攻撃のチャンスが増える。
このシーズンは、氏原が、テラが、慎吾が、本当によく得点を決めた。
もちろん、クロさん自身も抜群の得点能力を遺憾なく発揮してくれた。シーズンで20点以上取ったのは、チーム史上、黒崎とマルクスだけではないだろうかしら?
京都戦では、このまま振り向きざまに打ったシュートが、記念すべきビッグスワンの初ゴール。
時にはこんなミドルが炸裂して、スタジアムをしびれさせたw

2001年は、そう。まったくワクワクした年だったよね。
監督が代わり、新しいスタジアムがオープンし、TGPが始まり、etc…etc…
結局最終的には一度も昇格ラインに達しなかったのだけれど、それでも初めて昇格が具体的な目標になったこと、「J1昇格に絡む」位置にいられたこと、この年の経験はチームにとっても、サポーターにとっても貴重なものだったと思う。
ちなみにビッグスワン?落としの客席は。

「ゴール裏サポーターも、これまでふたつに分かれていた団体を、この晴れの日を前にひとつにまとめた」とは言っても、そんな大人数のG裏集団が出現したわけではない。VAMOSの旗の上のほうに集まってるオレンジが濃い部分、これが当時の中心部。前のほうなんてスカスカだしね。
ここから一気に爆発するわけではなく、?落としの京都戦以降の新潟スタジアムの入場者数は、鳥栖戦19391 人、湘南戦12707人、山形戦11384人と1万人台が続く・・・。仙台戦・川崎戦でなんとか2万人台に乗せ、終盤の大一番、京都戦(ビッグフラッグ完成のお披露目あり)で初めて4万人を突破。
このあいだに、テールゲートパーティがあったり「おーちゃんバス」が始まったり、ビッグフラッグの募金があったり、いろんなイベントがあって飲んだり歌ったりw、盛り上がっていくわけです。



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