「信じる」・・・
「理解した上で確信を持つ」とか「納得する」とかいうのなら分かるんだが、
私は不信心者なので、むやみやたらに「信じる」というのはないなあ。
「信じる」が「思考停止」になりませんように。
「信じる」という言葉でまず思い出すのが、
高田三郎の「心の四季」(作詞は吉野弘)
「雪の日に」の歌詞を引用すます。
雪がはげしく ふりつづける
雪の白さを こらえながら欺きやすい 雪の白さ
誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は せつないどこに 純白な心など あろう
どこに 汚れぬ雪など あろう雪がはげしく ふりつづける
うわべの白さで 輝きながら
うわべの白さを こらえながら
雪は、純白であると信じられているがゆえに苦しむ。
いつまでも白くあり続けるために、次から次へと降り続いて汚れを隠し続けなければならない。
ああ、なんて切ない詩だ。
雪国の人たちは、本当の雪を知っている。
美化されたものではない、私たちを苦しめる、雪。
雪の本質を知って、そして雪とともにあり続ける。
その潔さ。覚悟。
作詞の吉野弘さんは山形県酒田市出身の人。
むやみに雪を「美しい」などと言わず、雪の苦しさに心を寄せる。
私もそういうふうにありたい、と思う。
やたらに「信じる」と言われても、相手が困る場合だってあると思うのだ。
まず、苦しさに心を寄せよう。理解しようと努めよう。
もちろん、「信じる」というのにはいろいろなニュアンスがあって
「闘え新潟」みたいに「自分を信じて迷わず行け!」みたいな使い方もあるし。
ペンパルスの「Believe」みたいに、ずっと変わらずに思い続ける、という意味合いもあるんだろう。
ただくれぐれも
「信じる」ということが「現実から目をそむける」ことだけにはなりませんように。
いつも目と心を研ぎ澄ませていきましょう。