4/1?4/3、宮城県遠田郡美里町(小牛田町)の実家に帰省してきたわけですが・・・
まず家に帰って母から指示されたのは、
避難場所でした。
地震がきた場合
・母=母の仕事机の下
・父=台所のテーブルの下
にそれぞれ逃げ込むことになっているそうです。
そこに私が帰省したので、
・母=台所のテーブルの下
・父=奥の間の押入れ
・私=母の仕事机の下
に避難場所が変更になりましたw
実家には2泊3日滞在しましたが
その間に、机の下にもぐりこむような余震が3回ほどありました。
大きな地震のせいで家全体の建付けが緩んでいるのか、
ちょっとした余震でもかなり柱が軋んで怖かったです。
これではなかなか熟睡できないだろうなあ、という感じでした。
3/11の大震災のときには、我が家ははっきり、東西に揺れたそうです。
東西方向においてある家具が軒並み倒れたと言ってました。
居間の西側の壁際にあった仏壇(若い男性が二人がかりでも持ち上げられない重さ)が
正面(東側)に向かってばったりと倒れてきたそうです。
鴨居に太い布ベルトで固定してあった洋服ダンスや茶ダンスなども
付け根からベルトが外れてしまい、ダメだったようです。
父はそのとき、家の奥に増築したプレハブの書斎にいて
地震と同時に庭に飛び出して
庭の「びわの木」にすがっていたとのことでした。
母は台所にいて、台所のテーブルの下にもぐったそうです。
33年ほど前の宮城県沖地震のときにも、母はこのテーブルの下にもぐっていました。
その時と比べても、揺れは激しく、ものすごく長い時間揺れていたそうです。
続く。