6/12午後
高速に乗って、三陸道?仙台東部道路?(若林JCT)?仙台南道路?(仙台南IC)
?東北道?(郡山JCT)?磐越道を通って新潟に帰ってきました。
震災後3ヶ月という節目だったせいか、ところどころ渋滞するほど道が混んでいました。
高速道路の上限1000円がもうすぐ終わってしまうことも、影響してたんですかね。
松島からしばらくは内陸部を通りますが、
多賀城辺りで海岸部まで見渡せるようになります。
どこもひどい光景でした。
仙台とは言っても、あの辺りの沿岸部は、田んぼがずーっと広がってるんですが、
いろんなものが田んぼの中に散乱してるようでした。
この季節なら、田植えが終わって一面緑に光ってるような時期なんですけどね。
これだけ広大な面積の田畑で作付けができない状態では、
食糧事情はどうなってしまうんでしょう。
仙台?福島沿岸部?茨城沿岸部まで、みんなこの状態なんでしょうから。
とにかく、全てのものが元に戻るまで、
まだまだ相当な時間が必要なんだということだけは強く実感できました。
仮設住宅がどんどん完成して避難所から移れたとしても
今年稲を作ることは無理ですよね。
そうしたら、生活そのものはまったく再建の目処が立たないじゃないですか。
漁業だって、大きな漁港は改修が進んでるけれど
小さな漁港や船着場は護岸が割れたり、船自体が流されたりで
仕事ができないわけですよね。
それまで普通に仕事をして、誰にも迷惑かけるわけでもなく
きちんとした暮らしをしていた人たちが
ある日突然、何もかもを奪われて投げ出されて
支援がなければ暮らしていけないような状況におかれている訳です。
自分がその立場だったら・・・考えてみてください。
過剰な支援は自立を妨げる、みたいな意見もあります。
でも、「過剰な支援」を私たちはしてますか?
そんなに「過剰」なほど、物資を送ったりできてますか?
被災地の人が、まじめに働くのがバカバカしくなるほどの贅沢な暮らしをしてますか?
今はまだ、生活していくのにギリギリなところまでのことしか
支援できてないんじゃないかしら、と私は思っているわけです。
支援してるんだからありがたく受け取れ、みたいな風潮も
何なんだ!と思っているわけです。
もちろん、物を送りつづけることだけが支援だとは思いません。
仕事の創出など収入の手段が確保されて、地元の商店街なども再開され、
以前のように自分たちで買い物したりできるように、いろんな工夫や知恵が
これからは必要になってくるんだと思います。
今回の震災で一番思ったこと。
いくら自分で災害の備えをしたり非常用食料備えていても
自分だけで自分の身を守ることはできないな、っていうこと。
ある意味、あきらめですねw
これだけ大変な事態になったら、誰かの世話にならなきゃ助からないです。
年老いた両親のことを何とか守りたいと思いましたが
結局震災後数日は全く連絡も取れず、物資を送れたのも10日経ってからでした。
その間両親は、近所の人や親戚が助けてくれました。
自分でできることは限られてます。
誰かの世話にならないと生きていけないです。
助けてもらうことは恥ではないし、助けることも特別えらいことじゃない。
そういう局面になったら、きっとみんな、そうするはずです。