6/12午後
石巻を後にして、仙石線の野蒜(のびる)駅方面に行ってみることにしました。
私は宮城県の内陸部出身で海が遠いのですが、
子供の頃海水浴というと、まずは石巻方面(渡波とか、長面とか)に行きました。
大きくなるにつれて野蒜や奥松島のほうに行くことが多くなった気がします。
なんでだか、よく覚えてないけど。
石巻より松島のほうがオシャレな感じがしたのかもしれません(笑)
(石巻の人、失礼だったらスイマセン・・・滝汗)
6/12午後
石巻を後にして、仙石線の野蒜(のびる)駅方面に行ってみることにしました。
私は宮城県の内陸部出身で海が遠いのですが、
子供の頃海水浴というと、まずは石巻方面(渡波とか、長面とか)に行きました。
大きくなるにつれて野蒜や奥松島のほうに行くことが多くなった気がします。
なんでだか、よく覚えてないけど。
石巻より松島のほうがオシャレな感じがしたのかもしれません(笑)
(石巻の人、失礼だったらスイマセン・・・滝汗)
6/12 秋保温泉の快適なベッドでぐっすり眠っていると、突然 グラグラッ
地震、きました(TдT)
時計見たら朝の5時。
ニュースをつけて震源地と震度確認。福島沖震源の最大震度4。
大きな地震ではないと分かって、もうひと眠り。
しようと思ったけど、寝れない・・・(TдT)
せっかく寝坊しようと思ってたのに。
宮城に帰ってくると必ず揺れるんです。
つーか、毎日揺れてるんかな。
そんなぼんやりした頭で、石巻に向かいました。
沿岸の高速道路を使って利府より北に行くのは初めて。
やがては「三陸縦貫自動車道」として仙台から宮古まで、沿岸部をつなぐ高速道路になる、らしい?
石巻港ICで降りて石巻街道にはいると、最初に目にしたのは、
余りひとけのない道路を歩く、スコップを持ったボランティアの一団。
街全体が埃っぽくて、空っぽのショーウインドウには津波の痕跡。
でも、いくつかのお店は再開していて、そのギャップが激しい。
ちょうどお昼になったので、開いていたイタリアンレストラン、
トマト&オニオン石巻店に入りました。
ここはもう、本当に普通に、フツーに営業してました。
おいしかったです、ピザランチ。
そこからさらに海のほうに行ってみよう、ということで、日本製紙の近くを通って門脇町へ。
道沿いに物置が転がっていたり、明らかに漂流物が増えてきたと思ったその時、
いきなり目の前に、広大な津波被災地が姿を現しました。
道路も突然悪路になり、というか、まだ道路が補修されていないのでしょう。
まるで別世界に足を踏み入れたような感覚に襲われました。
デコボコ道を少し行くと右手に、TVで見覚えのある看板が!
そう、あの「がんばろう!石巻」の看板でした。
そうなのです、ここにあったのです。
車を停めて降りてみました。
たぶん重機で片付けられるような大きなものは撤去されたのでしょうが、
足もとの砂地には、ブロック塀のかけらだの、こまごました生活用品だの、
あらゆるものが埋まっていました。
そして、このあたりにお住まいだった方なのでしょう、レジ袋を手に、
一生懸命「何か」を探しておられる姿があちこちに見られました。
残っている建物もありましたが、3階くらいまでの窓はみな割れて
人が住めるような状態ではなかったです。
この看板が書かれたのは4月11日、震災から一月経ったころです。
当時ニュースでこの看板を見ましたが、その時TVで見た光景と、
3ヶ月経った6月12日に見た光景。
果たして、どれほど変わったでしょうか・・・
6/11?12、宮城県に行ってきました。
震災から3ヶ月という節目に、仙南から石巻まで、被災地を見てきました。
(ボランティアでなくてすいません・・・)
今回の旅の目的は、まだ一度も被災現場を見たことがないオットに現地の様子を見せたかったこと、そしてもう一つ、宮城県でお金を使うこと!仙台の奥座敷、日本三大古湯の一つといわれる秋保(あきう)温泉に泊まってきましたのだ。
11日はまず、磐越道から東北道に入り、仙台南部道路に出ました。
長町過ぎて今泉の辺りから、津波の被害の様子が見えてきます。
4月に通ったときは、あたり一面が茶色く埃っぽく見えたのに、雑草が生えてきたせいか、緑色で痛々しさが多少は緩和されているような気がしました。
が、若林JCTから仙台東部道路に入り南下していくと、道路の左側は、やはりまだ厚い泥に覆われていました。
だいぶ片付いたのでしょうけれど、それでもいまだに田んぼの真ん中にひっくり返っている自動車もあります。
海岸線から根っこごと運ばれたのでしょうか、大きな木が何本もごろごろしてます。
閖上浜にうず高く積み上げられた瓦礫の山が、高速道路からもはっきり見えました。
この日はとにかく暑い日だったので、仙台空港に行って冷たいものでも飲もうか、ということで、名取インターで高速を降りて下道を走ってみました。
初めてまぢかに見る、津波の被災地でした。住宅地であったろう場所は、わずかに土台のコンクリートだけが残されていたり、住宅のすぐ脇に小型船が横たわったりしていました。ビニールハウスは、おそらくこのあたりの特産であるイチゴのハウスだと思うのですが、ぐにゃぐにゃに折れ曲がっていました。
営業再開した、と思っていた仙台空港は、なんとか発着業務だけは再開にこぎつけた、という様子でした。
3階にあるレストラン街には入れず、工事関係者のような人が歩いているのが外から見えました。空港へのアクセス鉄道も止まったままです。
「普通」に戻るのはまだまだ先なんだな・・・そう思うと、とても、悲しい気持ちになってしまいました。
閖上浜の方にも行ってみたかったのですが、災害復旧車両のみ通行可、ということだったので行けませんでした。
暑さでバテてきたので、宿泊先の秋保温泉に向かいました。
泊まったのは、温泉街のほうではなく、名取川をはさんで反対側にあるリゾートホテル。
行ってみて初めて知ったのですが、2002ワールドカップでアルゼンチン代表が宿泊した宿でした。
しかも、宿泊日が「2002年6月11日」!なんたる偶然!アイマ??ル??!!
夕食は、名取川の清流を眼下に眺める静かなレストランで、美味しいフランス料理のコースを楽しみました。
それから、温泉街のほうに散歩に出てみることにしました。
なにせ皇室ゆかりの温泉、格式の高い豪華な温泉宿がたくさんあるんですがね。
こちらの温泉街も、作業服着てレジ袋持ったボランティアの方がたくさん、来てるようでした。
あの「伝承千年の宿 左勘」にも、「支援活動の方専用出入り口」みたいなのが設けてあって、素泊まりで安く利用できるプランが用意されてるようでした。コンビニでご飯買ってる人も多かった・・・
子供の日記みたいなブログですいません(TдT)
別紙ドキュメントにもご報告の通り、これまで集まっている支援金は355,500円、被災地にお送りしたブラやブラキャミの枚数は、合計286着となっています。
未発送のブラキャミが30着、支援金の残りが3万円ちょっと、手元にあります。
被災地にお送りしたブラ・ブラキャミは、ボランティアで活動されいてる方たちの手を通して、必要な方に届けられています。
みなさまのご協力、本当にありがとうございます!
写真は、岩手県山田町から。
岩手「カシオペア女性と若者を支援する会」の活動です。
こちらからお送りしたユニクロGUのブラキャミを手にVサイン!こうやって少しでも皆さんの笑顔につなげられれば、と思いますね?
また、宮城県「仙南支援隊チーム王冠」様宛にお送りしたブラキャミも、被災者の方のところに少しずつ届けられています。
それでも、まだまだ支援の手が届かないところがあります。
岩手県山田町の豊間根中学校という避難所からの声です(6/12現在)
ブラジャーは避難当初から不足していましたが、厚着をしている間は身につけなくても大丈夫でした。しかしだんだんと暖かくなり薄着になると、いつまでも身につけないというわけにも行かず困っております。通常のブラジャーですとトップとアンダーのサイズのバリエーションが多すぎて、個々の対応が難しいですが、ブラジャー付きタンクトップであれば、その点が解消できます。また少々大きめのサイズでも、脇を詰めることで対応できます。どうぞよろしくお願いいたします。
(「ふんばろう東日本」支援要請サイトから)
まだまだ大作戦は続きますよ。
「被災地の女性にブラを贈ろう?アルビサポ ラ・ブラ・ブ大作戦」は、みなさまからご協力いただいたし資金でブラ・ブラキャミソールを購入し、被災地で支援活動している方に配布を託しています。ご協力、本当にありがとうございます。
岩手県で活動していらっしゃる「カシオペア女性と若者を支援する会」さんが、活動状況をFacebookに載せてくださっています。
http://www.facebook.com/iwate.cassiopeia
こちらの団体には、これまでに「ラブラブ大作戦」からブラ50着・ブラキャミソール50着をお送りしています。
秋元先生は、県立病院の産婦人科医というお立場を十分に活かされて、つながりのある看護師さん・保健師さん・看護学生さんなどのネットワークを駆使して岩手県沿岸部全般で救援活動をなさっています。すばらしいです。女性として、大きな災害があったときにこのようなドクターが身近にいてくれたら!と心から思います。
秋元先生のところに、被災者の方からお礼状が届いてらっしゃいます。
私のブログでも紹介させていただきますね。
少しでも皆さんに笑顔を、と思わずにいられません。