プレイバック・アルビレックス 4

浅妻信の風と共に蹴りぬ?第22回「プレイバック2001(4)
浅妻さんのプレイバックコラム、次回で終わりだそうである(><)
この週末からリーグ戦再開、となれば、それもしょうがないか。

太夫浜で練見@2001年3月3日
クロさんのリーゼントが、すごいなあ・・・www
マサもカワイイね。
でも、注目すべきはそんなことではなく、浅妻コラムで触れられている、ソウザとリンドマール。
その二人の貴重なツーショットがこれw
リンドマールはスタメンでの出場は1試合もなし、ソウザにいたってはついにベンチ入りさえなかったという、ビックリ記録(リンドマールも8節以降はベンチ入りなし)。メインスタンド観戦が常だった私にとって、彼らが家族と一緒にスタンド観戦している姿を間近で見るのは、正直、苦痛以外の何ものでもなかった。チームにとっても彼らにとっても、不幸な時間だったと思う。
助っ人FWがこんな調子だったので、クロさんも体のあちこちを痛めながらも頑張らざるをえなかったのだ。夏にアンドラジーニャがやってくるまでは・・・。



プレイバック・アルビレックス 3

浅妻信の風と共に蹴りぬ?第21回「プレイバック2001(3)」
浅妻さんが「恵まれた体躯を生かした抜群のポストプレーから、左右両足からのキャノン砲が炸裂」と書いているように、2001年のクロさんのポストプレーは本当にすばらしかった。ペナルティエリア内で相手DFを背にしたときの強さといったら、もう・・・。

水戸戦@市陸(2001.7.11)

京都戦@新潟スタジアム(2001.5.19)
ポストによくボールが収まるので、攻撃のチャンスが増える。
このシーズンは、氏原が、テラが、慎吾が、本当によく得点を決めた。
もちろん、クロさん自身も抜群の得点能力を遺憾なく発揮してくれた。シーズンで20点以上取ったのは、チーム史上、黒崎とマルクスだけではないだろうかしら?
京都戦では、このまま振り向きざまに打ったシュートが、記念すべきビッグスワンの初ゴール。
時にはこんなミドルが炸裂して、スタジアムをしびれさせたw

2001年は、そう。まったくワクワクした年だったよね。
監督が代わり、新しいスタジアムがオープンし、TGPが始まり、etc…etc…
結局最終的には一度も昇格ラインに達しなかったのだけれど、それでも初めて昇格が具体的な目標になったこと、「J1昇格に絡む」位置にいられたこと、この年の経験はチームにとっても、サポーターにとっても貴重なものだったと思う。
ちなみにビッグスワン?落としの客席は。

「ゴール裏サポーターも、これまでふたつに分かれていた団体を、この晴れの日を前にひとつにまとめた」とは言っても、そんな大人数のG裏集団が出現したわけではない。VAMOSの旗の上のほうに集まってるオレンジが濃い部分、これが当時の中心部。前のほうなんてスカスカだしね。
ここから一気に爆発するわけではなく、?落としの京都戦以降の新潟スタジアムの入場者数は、鳥栖戦19391 人、湘南戦12707人、山形戦11384人と1万人台が続く・・・。仙台戦・川崎戦でなんとか2万人台に乗せ、終盤の大一番、京都戦(ビッグフラッグ完成のお披露目あり)で初めて4万人を突破。
このあいだに、テールゲートパーティがあったり「おーちゃんバス」が始まったり、ビッグフラッグの募金があったり、いろんなイベントがあって飲んだり歌ったりw、盛り上がっていくわけです。



真夏のおでん


やっぱり、ここです。
やったね、VAMO番長!w



プレイバック・アルビレックス 2

ブラック・アルビレックス物語 第2話(第1話は省略w)
2000年晩秋
悪い魔法使いの魔法により「王子」の座を追われたアルブレヒトは、キョトン顔のオトボケ白鳥に姿を変えられ、市陸でマスコットとしてこき使われていた。肉が裂けるほどの怪我を負いながらも、休むことなど許されなかったのだ・・・

「平均観客動員数が5千人を超えたら、魔法を解いて、かっこいい白鳥に姿を変えてやってもいいぞ」
悪い魔法使いは、そんな条件を出した。
せ、せめて水戸や甲府なみに「3千人」目標ならクリアできるのに・・・
アルブレヒトは必死に営業活動を続けたが、この年のアルビレックスのチーム成績は非常におもわしくなく、当然のことながら観客数も伸びなかったのだ。この日(2000年11月11日鳥栖戦)は、ホームゲーム観客数がJ2昇格以来最低(1786人)を記録した、まさにその日なのであった。
王子アルブレヒトの苦労は、まだまだ続く・・・(完)



ASIAN CUP – PK戦の謎が・・・

土曜日のオーストラリア戦
もう動けない相手に4分間でゴールできないのはどういうことだ」とオシムたんにしかられたヤノキショーに萌え!w
ところで、疑問だったことがある。
残り時間わずかなところで起用された貴章。
胸をよぎる一抹の不安。
「このままPK戦に突入して、キッカー回ってきたらどうしよう・・・」(どうしよう、って・・・苦笑)
いや、すまん。申し訳ない。そんなこと心配してどうすんねん、っていう話なのだけれど、それにしたって、出場したっていうだけで心臓が止まりそうなのに、PK戦でキッカーが回ってきたら命が持たないようぅぅぅぅ。
と思いつつ、画面を見ていると。PKの用意のために整列するメンバーの中から。
あれ、貴章がどっかに連れていかれる・・・?
そんでもって、その後、フィールドで肩を組む日本チームのメンバー内に、貴章の姿がない?
えー。どうなってるの。見えないとこにいるの?
おかしいなー。
そうこうするうちに川口がネ申になり、PK4?3で日本の勝利ヤタ—
で、貴章です。
どう考えても不思議だったので、よくよくルールを見たらば。
PK戦ってば、相手とキッカーの数を合わせることになってるんだったのね。
オーストラリアに退場者が一人出ていたので、PK戦になった時点でこっちも一人、キッカーを減らすことになった。それで、貴章が外れた、と。
たぶん、そういうことなんではないでしょうか。
画像で確認してないけど、PK戦のさいちゅうは、キッカーと川口を除いた8人で肩を組んでいたと思われ。
ぬか喜び ならぬ、 ぬか心配? しちゃったよーーー。
体がもたん。
え、なぜキッカーから外されたか?
んなこと、知らんがな。オシムたんに訊いてくれ



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