宮城県小牛田町(現・美里町)の情報は #kogota で!

昨日の地震、大丈夫だったですか?

今回はいろいろ教訓が生きていて
実家や親戚とは地震後1時間ほどで連絡が取れました。

それにしても、Twitterがこんなに役に立ち、心強いものだとは!

現在、小牛田や古川の情報はTwitter上で主に以下のハッシュタグが使われています
#kogota
#miyagi_oosaki
#oosaki

これらのハッシュタグを含むTweetを表示するブログパーツは
以下で紹介しています。
http://nagisa.skr.jp/archives/2011/03/24_1346.html

リアルタイムな情報が本当に役に立ちます。
出てくる地名がローカルで、懐かしさと身近さで涙が出るよ・・・
みなさん、引き続き余震に注意しながら過ごしましょう。



震度7

今回の東日本大震災と、2004年の新潟県中越大震災と。
あまりに違うので、気づいたこと・調べたことを書き留めておきます。

どちらの地震も最大震度は「震度7」。
中越地震では新潟県川口町が、東日本大震災では宮城県栗原市が、
それぞれ震度7を記録しました。
で、その被害は?
とりあえず、建物の被害だけで比較して見ます。

【新潟県川口町】
○2004.10.1現在
 人口 5,530人
 世帯数 1,595世帯
○地震による建物被害
 全壊 339棟
 大規模損壊 74棟
 半壊 223棟
 一部損壊 111棟

【宮城県栗原市】
○2011.2.1現在
 人口 74,558人
 世帯数 24,614世帯
○地震による建物被害
 全壊 5棟
 半壊 16棟
 一部損壊 138棟

宮城県栗原市の建物被害が、びっくりするほど少ないです。
同じ「震度7」でありながら、これほど住宅被害に差があるのはなぜ?

直下型の地震と、海底が震源だった地震の差でしょうか?
いわゆる「キラーパルス」が発生しなかったのでしょうか?

宮城県では、3年前の2008年6月に「岩手・宮城内陸地震」を経験していて、
そのときの栗原市の震度は「震度6強」(この地震の最大震度)でした。
もしかしたら、地震で倒壊するような建物はこの時に倒壊してしまったのかな?
とも思ったのですが、この地震でも「キラーパルス」が発生せず、
震度の割には建物被害が少なかったようです。

「震度7」と聞いた時に、
山が崩れ、住宅が潰れ、路面が割れてめくれあがっている、
あの中越地震の光景を頭に思い浮かべた私でしたが、
実際に行ってみて、全く違う、と思いました。

石巻市(人口160,336人・60,905世帯)では、全壊が約28,000棟、
半壊・一部損壊は「調査中」となってます。
仙台市も建物被害は「調査中」となっていて、全容が分かりません。
今回の地震の被害のほとんどが、津波による被害だということが理解されます。



小牛田町北浦で聞いた地震の話?

ちょっと話は前後しますが、
4/1、宮城県遠田郡美里町(旧小牛田町)北浦駅前の実家に帰省した時の話です。

新潟から古川までは、磐越道~東北道と高速道路のみで行けるので
かなりスムーズに行くことができました。

古川で高速道路を降りて国道に入ると、
メインの通りは補修も進んでいましたが
歩道と車道のあいだでかなり段差があったり、建物の土台が露出していたり。
ちょっと脇道に入ると路面のうねりが激しくて徐行運転が必要なほどでした。

国道108号線に入って北浦方向に向かうと
関根あたりで電柱が傾いているのが見えました。

国道沿いでは目立った家屋の被害は見当たりませんでしたが
北浦駅前は古い家が多く、その辺りでは倒壊したり傾いた家などが見受けられました。
震災後3週間経っていたので、がれきなどはかなり片付けられた後でした。

我が実家の数軒隣で親戚が酒店を営んでいるのですが、
そこで震災当時の話を聞いたところ、
国道の路面がウネウネとうねるのが見えたそうです。
10分くらい揺れていたような気がした、と言ってました。

この国道108号線。
古川から石巻にまっすぐ向かう国道です。
実家の父の話では、震災の翌日(3/12)から、
サイレンを鳴らした他県ナンバーの緊急車両がひっきりなしに東に向かったそうです。

沿岸地域の道路が壊滅状態でしたから、内陸から石巻・三陸方面に向かうには
この国道108号が主要なルートになるだろうとは思っていましたが、
私の想像通りだったようです。

私が帰省した時も
自衛隊の車両や、重機や資材を積んだトラック、電気工事用の車両など
さまざまな他県ナンバーの車がひっきりなしに行き交っていました。



小牛田町北浦で聞いた地震の話?

4/1?4/3、宮城県遠田郡美里町(小牛田町)の実家に帰省してきたわけですが・・・

まず家に帰って母から指示されたのは、
避難場所でした。

地震がきた場合
・母=母の仕事机の下
・父=台所のテーブルの下
にそれぞれ逃げ込むことになっているそうです。

そこに私が帰省したので、
・母=台所のテーブルの下
・父=奥の間の押入れ
・私=母の仕事机の下
に避難場所が変更になりましたw

実家には2泊3日滞在しましたが
その間に、机の下にもぐりこむような余震が3回ほどありました。

大きな地震のせいで家全体の建付けが緩んでいるのか、
ちょっとした余震でもかなり柱が軋んで怖かったです。
これではなかなか熟睡できないだろうなあ、という感じでした。

3/11の大震災のときには、我が家ははっきり、東西に揺れたそうです。
東西方向においてある家具が軒並み倒れたと言ってました。
居間の西側の壁際にあった仏壇(若い男性が二人がかりでも持ち上げられない重さ)が
正面(東側)に向かってばったりと倒れてきたそうです。

鴨居に太い布ベルトで固定してあった洋服ダンスや茶ダンスなども
付け根からベルトが外れてしまい、ダメだったようです。

父はそのとき、家の奥に増築したプレハブの書斎にいて
地震と同時に庭に飛び出して
庭の「びわの木」にすがっていたとのことでした。

母は台所にいて、台所のテーブルの下にもぐったそうです。
33年ほど前の宮城県沖地震のときにも、母はこのテーブルの下にもぐっていました。
その時と比べても、揺れは激しく、ものすごく長い時間揺れていたそうです。

続く。



食べてすけらいん。

ブログを書くのも久しぶりになってしまいもうした。
申し訳ござらん。

4/1?4/3、ようやく宮城県遠田郡美里町(旧小牛田町)の実家に帰ってきました。
高速道路でのガソリン供給が安定してきて帰路に不安がなくなったので、
震災後3週間目にしてようやくの帰郷です。

結論として。
やはり地震対策がそれなりにとられていたおかげもあって、
地元の被害は少ないほうでした。
道路の損傷だのブロック塀の倒壊だの、家屋の損壊だのはありましたけど、
まあまあ復旧も進んで、日常生活を取り戻しつつある、という感じでした。

細かいことはおいおい記録として書くこととして。

実家は、あちこちの親戚や友人・知人から送られてきた
救援物資であふれかえっていました。
缶詰、使い捨てカイロ、トイレットペーパー、レトルト食品、などなどなど。
消費しきれないので、近所に配ってあるくなどしているようです。

自分では食べきれないものを、どうそ食べてください、と相手にお願いするときに

「食べてすけらいん♪」

というのが、うちの母の口癖(笑)

「すける」=「手助けする、手伝う」というニュアンスですね。
「?らいん」というのは、「?してください」というイメージ。
「食べてすけらいん」で、「食べるのを手伝ってくださいな」という意味になります。

手伝ってほしい、というのを断るわけにはいかないので(笑)、
「食べてすけらいん」と言われると、「じゃあ」と
相手の箸もすすむようになるというもの。
押し付けがましくもなく、勧め上手な母だなあ、と感心します。

その調子で
「この荷物、運んですけらいん」
「洗濯物、干してすけらいん」
と次々に用事を言いつけられる羽目になるわけですが(笑)

ふるさとのなまりなつかし



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