東日本大震災?宮城に行ってきました5

土地勘がない人ために、今回の行程を図示してみました。

map

右上の赤い丸が、うちの実家のある小牛田町です。
石巻と緯度が同じくらいだと思っていたのに、うちのほうが北にあるんだ。
小牛田駅から、石巻線でまっすぐ東に向かえば石巻、というイメージだったので。
初めて知りましたw

こうしてみると、宮城県はやっぱりボランティアが入りやすいんだなあ・・・

石巻まで、仙台から1時間でしょ。
南三陸まで行くのに「日帰りボランティア」バスが新潟からも出てますよね。

岩手はすごく大変だと思う。
内陸部の拠点都市から海岸線に出るまで、けっこうな山道を越えなきゃいけない。
海岸線の国道45号線はまだ寸断されたままだし・・・
物資が行き渡らないのもわかる気がしますね。



東日本大震災?宮城に行ってきました4

6/12午後
高速に乗って、三陸道?仙台東部道路?(若林JCT)?仙台南道路?(仙台南IC)
?東北道?(郡山JCT)?磐越道を通って新潟に帰ってきました。

震災後3ヶ月という節目だったせいか、ところどころ渋滞するほど道が混んでいました。
高速道路の上限1000円がもうすぐ終わってしまうことも、影響してたんですかね。

松島からしばらくは内陸部を通りますが、
多賀城辺りで海岸部まで見渡せるようになります。
どこもひどい光景でした。

仙台とは言っても、あの辺りの沿岸部は、田んぼがずーっと広がってるんですが、
いろんなものが田んぼの中に散乱してるようでした。
この季節なら、田植えが終わって一面緑に光ってるような時期なんですけどね。
これだけ広大な面積の田畑で作付けができない状態では、
食糧事情はどうなってしまうんでしょう。
仙台?福島沿岸部?茨城沿岸部まで、みんなこの状態なんでしょうから。

とにかく、全てのものが元に戻るまで、
まだまだ相当な時間が必要なんだということだけは強く実感できました。

仮設住宅がどんどん完成して避難所から移れたとしても
今年稲を作ることは無理ですよね。
そうしたら、生活そのものはまったく再建の目処が立たないじゃないですか。

漁業だって、大きな漁港は改修が進んでるけれど
小さな漁港や船着場は護岸が割れたり、船自体が流されたりで
仕事ができないわけですよね。

それまで普通に仕事をして、誰にも迷惑かけるわけでもなく
きちんとした暮らしをしていた人たちが
ある日突然、何もかもを奪われて投げ出されて
支援がなければ暮らしていけないような状況におかれている訳です。
自分がその立場だったら・・・考えてみてください。

過剰な支援は自立を妨げる、みたいな意見もあります。
でも、「過剰な支援」を私たちはしてますか?
そんなに「過剰」なほど、物資を送ったりできてますか?
被災地の人が、まじめに働くのがバカバカしくなるほどの贅沢な暮らしをしてますか?

今はまだ、生活していくのにギリギリなところまでのことしか
支援できてないんじゃないかしら、と私は思っているわけです。
支援してるんだからありがたく受け取れ、みたいな風潮も
何なんだ!と思っているわけです。

もちろん、物を送りつづけることだけが支援だとは思いません。
仕事の創出など収入の手段が確保されて、地元の商店街なども再開され、
以前のように自分たちで買い物したりできるように、いろんな工夫や知恵が
これからは必要になってくるんだと思います。

今回の震災で一番思ったこと。
いくら自分で災害の備えをしたり非常用食料備えていても
自分だけで自分の身を守ることはできないな、っていうこと。
ある意味、あきらめですねw
これだけ大変な事態になったら、誰かの世話にならなきゃ助からないです。

年老いた両親のことを何とか守りたいと思いましたが
結局震災後数日は全く連絡も取れず、物資を送れたのも10日経ってからでした。
その間両親は、近所の人や親戚が助けてくれました。

自分でできることは限られてます。
誰かの世話にならないと生きていけないです。
助けてもらうことは恥ではないし、助けることも特別えらいことじゃない。
そういう局面になったら、きっとみんな、そうするはずです。



東日本大震災?宮城に行ってきました3

6/12午後
石巻を後にして、仙石線の野蒜(のびる)駅方面に行ってみることにしました。

私は宮城県の内陸部出身で海が遠いのですが、
子供の頃海水浴というと、まずは石巻方面(渡波とか、長面とか)に行きました。
大きくなるにつれて野蒜や奥松島のほうに行くことが多くなった気がします。
なんでだか、よく覚えてないけど。
石巻より松島のほうがオシャレな感じがしたのかもしれません(笑)
(石巻の人、失礼だったらスイマセン・・・滝汗)

P6120421
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東日本大震災?宮城に行ってきました2

6/12 秋保温泉の快適なベッドでぐっすり眠っていると、突然 グラグラッ

地震、きました(TдT)

時計見たら朝の5時。
ニュースをつけて震源地と震度確認。福島沖震源の最大震度4。
大きな地震ではないと分かって、もうひと眠り。
しようと思ったけど、寝れない・・・(TдT)
せっかく寝坊しようと思ってたのに。

宮城に帰ってくると必ず揺れるんです。
つーか、毎日揺れてるんかな。

そんなぼんやりした頭で、石巻に向かいました。
沿岸の高速道路を使って利府より北に行くのは初めて。
やがては「三陸縦貫自動車道」として仙台から宮古まで、沿岸部をつなぐ高速道路になる、らしい?

石巻港ICで降りて石巻街道にはいると、最初に目にしたのは、
余りひとけのない道路を歩く、スコップを持ったボランティアの一団。
街全体が埃っぽくて、空っぽのショーウインドウには津波の痕跡。
でも、いくつかのお店は再開していて、そのギャップが激しい。

ちょうどお昼になったので、開いていたイタリアンレストラン、
トマト&オニオン石巻店に入りました。
ここはもう、本当に普通に、フツーに営業してました。
おいしかったです、ピザランチ。

そこからさらに海のほうに行ってみよう、ということで、日本製紙の近くを通って門脇町へ。
道沿いに物置が転がっていたり、明らかに漂流物が増えてきたと思ったその時、
いきなり目の前に、広大な津波被災地が姿を現しました。
道路も突然悪路になり、というか、まだ道路が補修されていないのでしょう。
まるで別世界に足を踏み入れたような感覚に襲われました。

デコボコ道を少し行くと右手に、TVで見覚えのある看板が!
そう、あの「がんばろう!石巻」の看板でした。
そうなのです、ここにあったのです。
P6120412

P6120413

車を停めて降りてみました。

たぶん重機で片付けられるような大きなものは撤去されたのでしょうが、
足もとの砂地には、ブロック塀のかけらだの、こまごました生活用品だの、
あらゆるものが埋まっていました。
そして、このあたりにお住まいだった方なのでしょう、レジ袋を手に、
一生懸命「何か」を探しておられる姿があちこちに見られました。

残っている建物もありましたが、3階くらいまでの窓はみな割れて
人が住めるような状態ではなかったです。

この看板が書かれたのは4月11日、震災から一月経ったころです。
当時ニュースでこの看板を見ましたが、その時TVで見た光景と、
3ヶ月経った6月12日に見た光景。
果たして、どれほど変わったでしょうか・・・



東日本大震災?宮城に行ってきました1

6/11?12、宮城県に行ってきました。
震災から3ヶ月という節目に、仙南から石巻まで、被災地を見てきました。
(ボランティアでなくてすいません・・・)

今回の旅の目的は、まだ一度も被災現場を見たことがないオットに現地の様子を見せたかったこと、そしてもう一つ、宮城県でお金を使うこと!仙台の奥座敷、日本三大古湯の一つといわれる秋保(あきう)温泉に泊まってきましたのだ。

11日はまず、磐越道から東北道に入り、仙台南部道路に出ました。
長町過ぎて今泉の辺りから、津波の被害の様子が見えてきます。
4月に通ったときは、あたり一面が茶色く埃っぽく見えたのに、雑草が生えてきたせいか、緑色で痛々しさが多少は緩和されているような気がしました。

が、若林JCTから仙台東部道路に入り南下していくと、道路の左側は、やはりまだ厚い泥に覆われていました。
だいぶ片付いたのでしょうけれど、それでもいまだに田んぼの真ん中にひっくり返っている自動車もあります。
海岸線から根っこごと運ばれたのでしょうか、大きな木が何本もごろごろしてます。
閖上浜にうず高く積み上げられた瓦礫の山が、高速道路からもはっきり見えました。

この日はとにかく暑い日だったので、仙台空港に行って冷たいものでも飲もうか、ということで、名取インターで高速を降りて下道を走ってみました。

110611_152557初めてまぢかに見る、津波の被災地でした。住宅地であったろう場所は、わずかに土台のコンクリートだけが残されていたり、住宅のすぐ脇に小型船が横たわったりしていました。ビニールハウスは、おそらくこのあたりの特産であるイチゴのハウスだと思うのですが、ぐにゃぐにゃに折れ曲がっていました。

営業再開した、と思っていた仙台空港は、なんとか発着業務だけは再開にこぎつけた、という様子でした。
3階にあるレストラン街には入れず、工事関係者のような人が歩いているのが外から見えました。空港へのアクセス鉄道も止まったままです。
「普通」に戻るのはまだまだ先なんだな・・・そう思うと、とても、悲しい気持ちになってしまいました。

閖上浜の方にも行ってみたかったのですが、災害復旧車両のみ通行可、ということだったので行けませんでした。

暑さでバテてきたので、宿泊先の秋保温泉に向かいました。
泊まったのは、温泉街のほうではなく、名取川をはさんで反対側にあるリゾートホテル。
行ってみて初めて知ったのですが、2002ワールドカップでアルゼンチン代表が宿泊した宿でした。
しかも、宿泊日が「2002年6月11日」!なんたる偶然!アイマ??ル??!!

夕食は、名取川の清流を眼下に眺める静かなレストランで、美味しいフランス料理のコースを楽しみました。

それから、温泉街のほうに散歩に出てみることにしました。

なにせ皇室ゆかりの温泉、格式の高い豪華な温泉宿がたくさんあるんですがね。
こちらの温泉街も、作業服着てレジ袋持ったボランティアの方がたくさん、来てるようでした。
あの「伝承千年の宿 左勘」にも、「支援活動の方専用出入り口」みたいなのが設けてあって、素泊まりで安く利用できるプランが用意されてるようでした。コンビニでご飯買ってる人も多かった・・・

子供の日記みたいなブログですいません(TдT)



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