大人買い、ではない、大人の買い物

久しぶりに、ちゃんとした靴を買いました。
カジュアルなのと、ちょっとヒールがあるのと。

実は、どこで靴を買えばいいのか、
手頃な靴を扱っているお店がだんだんに身の回りからなくなって
困っていたのですね・・・

昔は、好きなブランドがありました。
フィリップ・ボワイエとか、マリールーとか。
(今はどちらもなくなってしまったのかな。)
青ジャス(笑)のなかにあった靴屋さんでも、
そういうブランド物の靴も扱っているお店があったのですが、
このごろのスーパーでは、テナントとして入っている靴屋さん、ってのはほとんどなくて、
靴売り場で扱ってるのは安いケミカルシューズばかりになってきました。
それで通販で買ったりしてたのですが、
サイズに当たり外れがあるしねえ・・・(´・ω・`)

やっぱりこれではいかんな、と思いまして、
デパートに行ったです。
欲しい靴のイメージははっきりしていたので、
店員さんに靴選びを手伝ってもらったです。
これが、大正解。

カジュアルな靴は、これから厚手の靴下をはいても大丈夫なように
ワンサイズ大き目を選びましたが、
歩いてみると、やっぱり踵がちょっと浮いてくるんですね。
で、店員さんが履き方をアドバイスしてくれました。
「踵を奥までしっかり入れた状態で、靴ひもをきつめに結んでみて下さい」
うん。これでOK!
すごく履きごこちが良くなりました。

もう1足は、ヒールが5センチ以内で
甲の被りが深くて、スクエアトゥに近いもの。
自分でざっと見て回って、どうもピンとくるものがなかったんだけど、
店員さんにイメージを伝えて探してもらったところ
「これなどいかがでしょう?」
と、ほぼイメージに近いものを持ってきてくれました。
お値段も予算以内!これ重要!

ここの靴売り場には何度か足を運んだことがあるですが、
たいていは迷った挙句に買わずに帰る、っていうことが多かったのです。
今回は、店員さんに靴選びを手伝ってもらえてホントによかったな♪

若い頃は、店員さんに話しかけられるだけでドギマギしたもんですが、
この頃は、大人の余裕、ですかねー(笑)
あははは

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国民の一人として

「国民の皆様へ」

というレターが届いたのです。
お国の偉い方から。

そうです。
何を隠そう私は
田代島にゃんこ共和国」の国民なのです!

宮城県石巻の田代島のにゃんこたちのことは、
岩合光昭さんの写真集で知っていて、
写真展を見に行ったころから
「あったかくなったら行ってみようね」と言ってたのですが、
そのわずか2ヶ月後にあの大震災と津波・・・

人的被害は少なかったようですが
船着き場が壊れて船がつけなくなったり
漁業用具が全て流されて主要な産業だった牡蠣の養殖などができなくなったり
島の人たちが再びそこで暮らしていけるかどうか、っていう
大変な状況に置かれたわけです。

田代島のかわいいにゃんこたちのために何かしよう、ってことで
支援基金に申し込んだわけですね。1年ちょっと前に。

したらば、晴れて国民として認められて「国民証」が送られてきたわけですが、
このたび、国民共通のグッズとして
マルチポーチと猫の手ストラップがきましたのだ!
くぅぅ。

あと数年経つと、いま一生懸命漁師さんたちが育てている田代島の牡蠣がやってくることになっています。
いや、牡蠣が欲しくて支援金振り込んだわけじゃないんだけど、
立派な牡蠣を育てて出荷するっていうことが現地の人たちの目標であり励みであると思うから、
それを受け取ることがすごく楽しみ。
それまでに引っ越してしまうかもしれないから、ちゃんと「国」に住所変更届をしなくてはね。

田代島の、震災後からこれまでの歩みと、にゃんこたちの様子は、
田代島にゃんこザプロジェクト 田代島便り
を最初からずーーっと読むとよいですよ。

支援金を使って、島の公衆トイレも再建されつつあるようです。

落ち着いたら今度こそ、田代島のにゃんこに会いに行くぞ!
国民と義務として!(笑)

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「ふるさと絆交流会」で歌ってきました。

9/15に月岡温泉の泉慶を会場に開かれた「ふるさと絆交流会 in 新発田市」で、新潟混声合唱団として歌を歌ってきました。

新潟県内には、いまなお6,000人をこす避難者の方が暮らしていらっしゃいます。
放射能の影響で帰宅そのものが許されない人、帰りたいけれど福島県内の仮設住宅に入れなくて新潟にいる人、放射能の影響が心配で自主避難してきている人、仕事再開のめどが立たない人・・・。新潟に避難してこられた経過も様々でしょうし、今置かれている状況も、お一人お一人が違った苦労を抱えていらっしゃることと思います。

そういう方たちが、避難先の自治体ごとではなく、避難元の自治体ごとに集まれる広域的な集まりを持とうということで、新潟県内3ヵ所で開かれているのが、この「ふるさと絆交流会」。私たちは、下越地域での集まりに出させていただきました。

泉慶の大広間には300席ほどが用意されていると聞きましたが、会場に行ってみると、ほぼ満席状態。
「南相馬市」「大熊町」「富岡町」・・・もともと住んでらした地域ごとにテーブルが設けられて、それぞれの席では久しぶりに顔を合わせた方々がお互いの近況を知らせあったりしているようでした。

私が参加している「新潟混声合唱団」には、南相馬市から避難してきた男性が、昨年6月から団員として加わっています。
小学生のころから歌を歌っていたそうで、震災と原発事故で新潟に避難してきてからも「歌を歌いたい」と思っていたそうです。ホームページを検索して、うちの合唱団の練習日に訪ねて来て下さり、それ以来、ずっと一緒に歌っています。
その方とのご縁で、今回、この交流会で歌を歌わせていただくことになったのでした。

うちの合唱団は9/22に定期演奏会を控えているので、定演で歌う歌の中から4曲を歌わせていただきました。
最後に「川の流れのように」を全体合唱させていただきました。

私はと言えば、最初のほうの歌詞の「ふりかえれば はるか遠く ふるさとが見える」と歌ったところで胸がいっぱいになってしまいました。
歌っている側がこんなふうになっては、絶対にいけないのです・・・。恥ずかしいことです・・・。
でも、自分の目の前に、こんなにたくさん、ふるさとからはるか遠く離れて暮らさざるを得ない人がいるのだと思うと、たまらない気持ちになりました。

会場では、ご年配の女性の方など、いっしょに声を出して「川の流れのように」を歌ってくださいました。
本当に嬉しかったです。歌を歌っていて、これほど「嬉しい」と思ったことはありませんでした。本当にありがとうございました。

なんの落ち度もないのに、ある日突然住み慣れた町を離れなければならなかった、なんという「理不尽」さ。
単なる自然災害と違って、自分の胸に湧いてくるのは「怒り」です。
自分のできること、常にそれを考えます。
大したことができるわけではないけれど、こうして情報を発信すること、想いを伝えていくことだけは続けていきたいと思います。

と、中学生の日記のようなエントリーになってしまった。

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新潟混声合唱団第42回定期演奏会のご案内

日時:2012年9月22日(土)午後2時
会場:新潟市音楽文化会館ホール
料金:前売り1200円 当日1500円
プレイガイド:新潟市音楽文化会館・トップトラベル新潟(DeKKY401)・新潟伊勢丹・ヤマハミュージック関東新潟店・新潟大学生協購買部

なおこの演奏会では、東日本大震災の影響を受けて新潟県に避難してこられている方を、無料ご招待いたします。
招待券は、「避難者交流所ふりっぷはうす」(新潟市)・「交流ルームひばり」(三条市)・「東日本大震災相談所」(新発田市)の三か所でお配りしていますので、入場ご希望の方はお近くの交流施設にお問い合わせくださいませ。

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仙台市荒浜地区に行きました

お盆で帰省したついてに、約1年ぶりに仙台市の荒浜地区を訪れました。

仙台南部道路を通って仙台空港に行ってから、県道10号線をずーっと北上して、七北田川の橋を超えるところまでいきました(キリンビール仙台工場があるあたり)。

まず、仙台東部道路より西側は、昨年は作付けできていない田んぼがたくさんあったのですが、今年は多くの田んぼできれいに稲穂が揃って、緑のじゅうたんになっていました。
東部道路より東の、海側の土地は、がれきの片づけは済んだものの、今年も作付けは無理だったようです。ところどころ茶色く土が盛ってある田んぼがあり、近寄って見ると、塩分除去の試験作業中であるような看板が立っていました。土の入れ替えをしているのかな?地盤沈下の影響もあって、津波で押し寄せた海水が長いこと滞留した状態になっていたところですから、貯まった塩分はそう簡単になくならないのでしょうね。来年は、お米がつくれるようになるのかしら・・・。いつまでかかるのかしら・・・。

それでも、名取川より南の名取市側は、住宅地に新しい家が建ったり、震災二ヶ月後くらに見た様子とはだいぶ変わっていました。

が、閖上地区を右手に見つつ橋をわたり、仙台市側にはいると状況は一変します。
1年前にここにきたときと、ほとんど様子が変わっていません。
もちろん田んぼにあった大きな木(防砂林として植えられていた松の木)の根っこだの、家の残骸だの、おびただしい自動車だのはすっかり片づけられていましたけど、津波で流されてしまった直後の「何もない」光景が続いていました。雑草が生えていましたが、あまり背の高い草はなく、これも塩分の影響なのかしらと思いました。

荒浜地区。県道10号線から東(海岸)方向を臨む。わずかに残った家も、窓がベニヤ板でふさがれている。松林は貞山堀ぞいにあった防砂林と思われる。

道路から少し入ったところに、20基くらいのお墓がある墓地がありました。
お寺の痕跡のようなものは見当たらなかったので、いわゆる集落墓みたいなものかと思います。
墓石はおそらく地震や津波で倒れたのでしょう。それが、まったくそのままになっていました。
そして、そこに数人のご家族連れが、お盆の供物を備えにやってきていたようでした。
本当に悲しい光景でした。

2階まで津波が到達した荒浜小学校の体育館。避難者を体育館に入れず、校舎の上階に上げたため、ここでの津波の死亡者はなかったという。小学校校舎は現在使われていない。


このあたりは、仙台市から「災害危険区域」に指定されて、住宅の新築が禁止されたのですね。
家が残っていればそれを修理して住むことは可能らしいのですが、何しろ、家がほとんど残っていません。土台すら流されてしまっているところも多数です。
区域外への集団移転を求められているようですが、それとて、各人の事情があり、なかなか話が進んでいないように聞きます。
何とかしたくても身動きが取れない。
何がベストなのか、ベターなのか。
どうしたらいいか分からないです。
そして、時間が経てば経つほど、困難も増えていきます。

荒浜小学校近くの民家。1年半経っても、そのままの姿で残っている。

もうすぐ震災から1年半が経とうとしていますが、復旧が進んでいるところもあれば、このあたりのように「何も変わっていない」地域もまだまだたくさんあるのだということを、忘れずにいたいと思います。

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