東日本大震災?宮城に行ってきました1

6/11?12、宮城県に行ってきました。
震災から3ヶ月という節目に、仙南から石巻まで、被災地を見てきました。
(ボランティアでなくてすいません・・・)

今回の旅の目的は、まだ一度も被災現場を見たことがないオットに現地の様子を見せたかったこと、そしてもう一つ、宮城県でお金を使うこと!仙台の奥座敷、日本三大古湯の一つといわれる秋保(あきう)温泉に泊まってきましたのだ。

11日はまず、磐越道から東北道に入り、仙台南部道路に出ました。
長町過ぎて今泉の辺りから、津波の被害の様子が見えてきます。
4月に通ったときは、あたり一面が茶色く埃っぽく見えたのに、雑草が生えてきたせいか、緑色で痛々しさが多少は緩和されているような気がしました。

が、若林JCTから仙台東部道路に入り南下していくと、道路の左側は、やはりまだ厚い泥に覆われていました。
だいぶ片付いたのでしょうけれど、それでもいまだに田んぼの真ん中にひっくり返っている自動車もあります。
海岸線から根っこごと運ばれたのでしょうか、大きな木が何本もごろごろしてます。
閖上浜にうず高く積み上げられた瓦礫の山が、高速道路からもはっきり見えました。

この日はとにかく暑い日だったので、仙台空港に行って冷たいものでも飲もうか、ということで、名取インターで高速を降りて下道を走ってみました。

110611_152557初めてまぢかに見る、津波の被災地でした。住宅地であったろう場所は、わずかに土台のコンクリートだけが残されていたり、住宅のすぐ脇に小型船が横たわったりしていました。ビニールハウスは、おそらくこのあたりの特産であるイチゴのハウスだと思うのですが、ぐにゃぐにゃに折れ曲がっていました。

営業再開した、と思っていた仙台空港は、なんとか発着業務だけは再開にこぎつけた、という様子でした。
3階にあるレストラン街には入れず、工事関係者のような人が歩いているのが外から見えました。空港へのアクセス鉄道も止まったままです。
「普通」に戻るのはまだまだ先なんだな・・・そう思うと、とても、悲しい気持ちになってしまいました。

閖上浜の方にも行ってみたかったのですが、災害復旧車両のみ通行可、ということだったので行けませんでした。

暑さでバテてきたので、宿泊先の秋保温泉に向かいました。
泊まったのは、温泉街のほうではなく、名取川をはさんで反対側にあるリゾートホテル。
行ってみて初めて知ったのですが、2002ワールドカップでアルゼンチン代表が宿泊した宿でした。
しかも、宿泊日が「2002年6月11日」!なんたる偶然!アイマ??ル??!!

夕食は、名取川の清流を眼下に眺める静かなレストランで、美味しいフランス料理のコースを楽しみました。

それから、温泉街のほうに散歩に出てみることにしました。

なにせ皇室ゆかりの温泉、格式の高い豪華な温泉宿がたくさんあるんですがね。
こちらの温泉街も、作業服着てレジ袋持ったボランティアの方がたくさん、来てるようでした。
あの「伝承千年の宿 左勘」にも、「支援活動の方専用出入り口」みたいなのが設けてあって、素泊まりで安く利用できるプランが用意されてるようでした。コンビニでご飯買ってる人も多かった・・・

子供の日記みたいなブログですいません(TдT)

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被災地の女性にブラを贈ろう?ラブラブ大作戦5

247212_136726956402803_126409014101264_232361_7196306_n報告が滞ってしまい、申し訳ありません(T_T)

別紙ドキュメントにもご報告の通り、これまで集まっている支援金は355,500円、被災地にお送りしたブラやブラキャミの枚数は、合計286着となっています。
未発送のブラキャミが30着、支援金の残りが3万円ちょっと、手元にあります。

被災地にお送りしたブラ・ブラキャミは、ボランティアで活動されいてる方たちの手を通して、必要な方に届けられています。
みなさまのご協力、本当にありがとうございます!

写真は、岩手県山田町から。
岩手「カシオペア女性と若者を支援する会」の活動です。
こちらからお送りしたユニクロGUのブラキャミを手にVサイン!こうやって少しでも皆さんの笑顔につなげられれば、と思いますね?

また、宮城県「仙南支援隊チーム王冠」様宛にお送りしたブラキャミも、被災者の方のところに少しずつ届けられています。

それでも、まだまだ支援の手が届かないところがあります。
岩手県山田町の豊間根中学校という避難所からの声です(6/12現在)

ブラジャーは避難当初から不足していましたが、厚着をしている間は身につけなくても大丈夫でした。しかしだんだんと暖かくなり薄着になると、いつまでも身につけないというわけにも行かず困っております。通常のブラジャーですとトップとアンダーのサイズのバリエーションが多すぎて、個々の対応が難しいですが、ブラジャー付きタンクトップであれば、その点が解消できます。また少々大きめのサイズでも、脇を詰めることで対応できます。どうぞよろしくお願いいたします。

(「ふんばろう東日本」支援要請サイトから)

まだまだ大作戦は続きますよ。

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被災者の方からのおたより

被災地の女性にブラを贈ろう?アルビサポ ラ・ブラ・ブ大作戦は、みなさまからご協力いただいたし資金でブラ・ブラキャミソールを購入し、被災地で支援活動している方に配布を託しています。ご協力、本当にありがとうございます。

岩手県で活動していらっしゃる「カシオペア女性と若者を支援する会」さんが、活動状況をFacebookに載せてくださっています。
http://www.facebook.com/iwate.cassiopeia
こちらの団体には、これまでに「ラブラブ大作戦」からブラ50着・ブラキャミソール50着をお送りしています。

秋元先生は、県立病院の産婦人科医というお立場を十分に活かされて、つながりのある看護師さん・保健師さん・看護学生さんなどのネットワークを駆使して岩手県沿岸部全般で救援活動をなさっています。すばらしいです。女性として、大きな災害があったときにこのようなドクターが身近にいてくれたら!と心から思います。

秋元先生のところに、被災者の方からお礼状が届いてらっしゃいます。
私のブログでも紹介させていただきますね。
お礼状 お礼状2

少しでも皆さんに笑顔を、と思わずにいられません。

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被災地の女性にブラを贈ろう?アルビサポ ラ・ブラ・ブ大作戦 ここまでのまとめ

4月下旬から始まった
被災地の女性にブラを贈ろう?アルビサポ ラ・ブラ・ブ大作戦
たくさんのご協力をいただき、お寄せいただいた資金が30万円以上。
お贈りしたブラ・ブラキャミの枚数は250着を超えました。
アルビレックス新潟のサポーターである友人たちにたくさん支えられて、ここまで続いています。本当にありがとうございます。

ここまでの、簡単なまとめです。(こちらのドキュメントも参照下さい)

201104261 20110516 201104262

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避難所からのお便り

昨日家に帰ったら、1通のハガキが届いていました。

少し前に支援物資を送った避難所の住所が、差出人のご住所でした。

そこは、ある小学校の体育館で、
数百人の方が生活しておられるところでした。

ふんばろう東日本」というサイトで、この避難所にいる方が
ヘアアイロンが欲しいとおっしゃってることを知りました。
私んちに、数回使っただけでお蔵入りしているヘアアイロンがあるので
新品でなくてもかまわないかどうか、型番も含めてお伝えして、
担当者に伺ったところ、「大丈夫です」ということだったので、お送りしました。

個人宛ではなく、避難所宛にお送りした物ですから
お礼状がくるとは思ってなかったんですけど
やっぱり嬉しかったですね。

ハガキには
浸水した家と職場と体育館を往復する生活の中で
支援物資のおかげで心に余裕が生まれたこと
本当にありがたく思っていること
などが書かれておりました。

そちらの避難所は、先週いっぱいで閉鎖になった場所なので、
避難所を出るにあたり、被災者の方みなさんで手分けして
支援物資を送った方にお礼状を書かれたのかな、と思います。

今はそれぞれが、仮設住宅に移ったり、アパートのようなところに移ったり、
新しい生活に足を踏み出していかれるのだと思います。
これから生活を再建されるのに、また大変な日々が続くことと思いますが、
少しでもお役に立てればな、と思います。

◆・・・・・・・・・・・・・・・・・・

支援物資として「ヘアアイロンは贅沢!」といったような風潮を、最近見かけます。

が、私自身、「髪の毛がバクハツ」するタイプ(笑)で、
ちゃんと手入れできないと外にも出かけられない、っていう気持ちはものすごく分かるし、
何せ使ってなくて家で眠っているものを役立ててくれるんなら
こんなに嬉しいことはないと思って、お送りしました。

毎日使っていたものが、ある突然に全て流されてしまった、そんな時に
「これまで使っていたものと同じものが欲しい」
というのは、自然だと思うんですよね、私。
ギャンブルで全財産なくした、とかいうならともかく、何ら本人たちに落ち度がなく
いきなり何もない生活に突き落とされているわけですから・・・

生活の目処がたっているなら「それまでは我慢しよう」とかいうのもあるでしょうけど、
全く展望もない生活の中で、「今は非常時だから我慢しろ」っていうのは
ちょっと違うんでないか?と。

震災から3ヶ月が経とうとしてますが
支援する人の側にも「支援疲れ」みたいな雰囲気を感じます。
こんなに支援してもまだ足りないの?みたいな・・・

もう足りてる部分もあるんでしょうけど、
全然足りてないところもありますよ。
ライフラインの復旧だけが問題じゃないと思います。

三陸沿岸の小さな地域に暮らしてた人たちは
漁業と少しばかりの畑で、けっこう自給して暮らしてた部分があります。
それが、船は流される、家も畑も流される、で、
いきなり毎日買い物して暮らせ、って言われたら、そりゃ不安ですよ。
近くのスーパーが営業再開したからそこで買ってこい、って言われてもね。

そういう、これまで暮らしてきた生活の様式、そういうものが元に戻らないと
暮らしはなりたたないんじゃないかと、私は思っています。
そこを「元に戻す」こと自体がもう無理なのかもしれませんが
それなら「新しい暮らし方」が成り立つまでは支援が必要だと、そう思います。

支援する側も、あれもこれもがんばろうとしすぎると、その反動で
「こんなものまで要求するなんて贅沢!」
「私はそこまで支援はできない」
なんていう気持ちになってしまうんじゃないでしょうかね。

できることを、ちょっとずつ。
それでいいじゃないですか?
がんばりすぎて、できるはずのことまでやらなくなってしまうっていうのが
一番バカバカしいですよ。

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