3度目の帰省

ちょっと前の話になりますが。
GW前半に、また実家の小牛田町北浦に帰ってきました。
4月中に3回帰省したことになりますねー。
高卒後に実家を離れてから、かつてなかったことです(笑)

驚いたことは、前回の3週間前に帰省したときと比べて、
あまり町の様子に変化がなかったことでした。

古川市内など、もっと復旧しているかと思いましたが、
相変わらず道の段差のところにはカラーコーンが置かれたままだし、
完全に段差を埋めきれてないのです。
私の実家の向かいにある、かろうじて建っているだけの古い家は、
だんだん傾きがひどくなっているものの、壊すに壊せない状態らしいです。

古川のイオンもヨークベニマルも、まだまだ店舗の改修が終わらず
半分くらいの面積で営業しているとか。
小牛田のホーマックは全然営業再開してないそうでした。

ほんとうに以前の生活に戻るには、まだまだ時間がかかりそう・・・

これまでは実家の片づけが忙しくて、なかなか周りをみる余裕がなかったのですが、
今回の帰省では、江合川の対岸にある中埣地区の方まで行ってみました。

北浦小学校裏手の橋を渡ったのですが、北浦側の道路はなんともなかったのに、
橋を渡り切って中埣側に入ったとたん、アスファルトじゃなく砂利敷きになっていて、
それもものすごい路面の凹凸があってびっくりしてしまいました。
徐行しててよかったよー(TдT)
アスファルトが割れて路面がぐちゃぐちゃになったんでしょうね。

そこから中埣小学校のほうに向かう道は、脇に建ってる電信柱が傾いていて
平衡感覚がおかしくなるような感じでしたわ・・・

蔵の土壁がみな落ちていたり、古い納屋が潰れていたり、
ざっとみた感じでも、北浦よりは中埣のほうが被害が大きいようでした。
北に行くほど・東に行くほど震源に近くなるのだから、当たり前なんでしょうね。

実は今回は、仙台南部道路→東部道路を経由して帰省したのです。
若林JCTに近づく辺りから、はっきりとまわりの光景が変わるのが分かりました。
津波は東部道路で完全に止まったわけではなく、さらに内陸にまで到達したところもあるのですね。

何と言い表したらいいのか・・・
本当に、ただただ、怖かったです。
自分の目にしているものが現実とは思えないような、
まるで映画のセットかCGでも見ているような・・・

ただただ怖い、それだけでした。

これは、最初に帰省したときに、3/11の地震直後の実家の内部の様子を撮った写真を
父に見せてもらったときに、まず感じたことなのです。
写真を見ただけで、震えるほど怖かったのです。

次に帰省したときは、4/7の地震後なのですが、
まったく手付かずの2階の様子を目の当たりにして、
この時も、膝がガクガクするほど怖かったです。

高速道路を走っていても、波うつ路面が怖かった・・・

そんなことしか言えない自分が、なんとも情けないのですけれど、
あまりに大きすぎる自然の破壊力に、
ただただ「怖い、怖い」とつぶやくしかない自分だったのでした。



ぽつり・・・

とある、震災の支援マッチングサイトで。

雄勝町で、食料品の物資支援を要請する書き込みがあった。
それに対して
「石巻ではもう正常営業しているスーパーマーケットもある、とニュースで見た。
 支援が本当に必要なのか?」
という趣旨のレスがついていた。

レスを付けた人に悪意がないのだ、ということは分かる。
効率的な支援を、という意味なのだろうことは分かる。

でも。
これはたとえば
「長岡の駅前のショッピングセンターが営業してるから
 山古志の人も不便はないでしょう?」
と言っているに等しいことなんだよなあ・・・



被災地に送って喜ばれたもの

小牛田・大崎 Twitter News]を見てると
だんだんと街が復旧していく様子が分かるなあ。
陸羽東線に続いて、石巻線も前谷地までは開通したんですね。
(前谷地も石巻市になったんだよなあ、おい。訳わがんね)
鉄道が通ってこその、小牛田町です(笑)
後は東北本線かあ。
仙台まで電車でいけるようになれば、だいぶ人の動きも楽になります。
待ち遠しいですね。

さて、話はここからだ。

震災でライフラインが途切れたときに、実家に送って喜ばれたものを書いておきます。

森永の絹ごし豆腐
 常温で長期保存が可能な、完全無菌パックのお豆腐です。
 紙パック入りの牛乳みたいな容器に入っています。
 田舎の年寄りには、お豆腐は必需品っていう気がして送りました。

惣菜詰合せセット
 常温で1年保存可能な、和風のレトルト惣菜のセット。

ヘルシー焼き魚 あじ、さんまセット
 こちらも、常温で1年保存可能な、焼き魚のレトルトパック。
 温めなくても、そのままで食べられます。

和風惣菜セット
 ちょっと高級な、老舗の味のお惣菜セット。
 こちらは冷暗所で90日保存可能。
 そのまま食べられます・

条件としては、以下のような点がありました。
・クロネコヤマトが少なくとも営業所留めで配達可能だった。
・プロパンガスと給水があったので、お湯を沸かしたり土鍋でご飯を炊くことができた。
・ライフラインとして最初に復旧したのは「電気」(電子レンジが使える)。

レトルト惣菜は、ネット上で探すといろいろ出てきますが、
震災後需要が多かったのか、売り切れになってるところが多いかも。
被災地向けに、いろいろ探してみようと思います。



小牛田・大崎 Twitter News (mobile版)

今回の東日本大震災で、
宮城県遠田郡小牛田町(現美里町)や大崎市方面の情報を得るのに
Twitterのハッシュタグがとても有効でした。

ただ、複数のハッシュタグ検索を掛け合わせたものを表示させるとなると
モバイル環境ではちょっとむずかしくなるので、
cronで生成したjsonファイルを読み込む感じのモバイルサイトを作ってみました。

小牛田・大崎 Twitter News(モバイル版)
http://nagisa.skr.jp/kogota/mobile.php
kogotatwt

Twitterのブログパーツとほぼ同様の内容を表示できます。

拾ってくるTweetは
「小牛田」「#kogota」「#oosaki」「#miyagi_oosaki」を含むもので、
重複と混乱を避けるためにRetweetは除くようにしてあります。
内容は5分ごとに更新されます(アクセス毎ではない)。
自分にとっては、これで興味ある範囲がかなり拾えています。
直近50件くらい表示される。かな?w

Twitter連携アプリにして、この画面からワンクリックで書き込みもできるようにすると
いいんだろうなあ・・・トオイメ
なんとなくやり方が思いつかないでもないので
検討課題とします(`・ω・´)



4/9,10ふたたび小牛田へ 4

4/10、宮城県小牛田町北浦の実家で後片付けをしていると。

親戚が「おやき」を持ってきてくれたり
「草餅をついたから」と持ってきてくれたり。
そこでいろいろ話を聞きました。

・北浦より中埣や田尻のほうが被害がひどい。潰れた家も多いし、水道の復旧も遅い。
・前回持ちこたえた家も、今回の地震で潰れてしまったところが多い。
・古川ではマンホールが浮き上がって、あちこち巨大キノコが生えたように見える(!)
・ペンダント式の照明具が激しく揺れて天井にぶつかり、天井に穴が開いた。
・ガソリンスタンドがようやく通常営業に戻りかけたのに、停電でまた営業停止。
・復旧予定だった鉄道も全面運休に。
・前回の地震とは違うものが倒れた。

などなど。

3/11の地震では台所のテーブル下に隠れた母でしたが
4/7は深夜で就寝中だったこともあり、まったく動けなかったとのこと。
父が「早く逃げろ」と声をかけたそうなのですが、
母は腰が抜けてしまって、頭から布団をかぶって悲鳴を上げていたそうです。
「これまで、あんなに強い地震は経験したことがない」と言ってました。
この世の終わりかと思った、と・・・

停電で真っ暗な中、近所の親戚が
「ここにいても危ないから避難所に移ろう」
と迎えに来てくれて、自家発電設備のある地区集会所に避難したとのこと。
翌日8日も停電したままだったので、夜は避難所に泊ったそうです。
北浦中組は、9日の早朝4時くらいに電気が復旧したようでした。

 そういえば。
 4/9の夜に、火災が2件発生してました。
 中埣と、オヌマって言ってたかな?
 消防車の音が聞こえたあと、防災無線でどこで火事なのが放送があるんですね。
 消防団を招集してるんだと思いますが。
 地震や停電に絡んだ火災なのだろうか、と心配になりました。

*********************
その後来客があったりして、私がいる方が邪魔になる感じだったので
昼前に実家を後にしました。
108号線沿いの、二又地区あたりで潰れている家が数軒見えました。

新潟に戻ってきて考えましたが。
あれだけ壁面のボードが落ちたり破損している状況だと、
家自体の強度がかなり落ちているものと思われました。
4/7の地震の翌日に、懇意にしている業者さんに来てもらって、
緊急の点検をしてもらったようですが、
かなりの補強が必要になるような気がしています。

これから考えなければならないことがたくさんあるなあ、と。
そんな感じですかね。



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