アルビレックス新潟: 2007年11月アーカイブ
いよいよ今シーズンの試合も、明日の大分戦を残すのみとなった。
寂しいのう・・・
開幕戦をホームで開催できないかわりに、毎年最終節をホームで迎えられるというのは、これはこれでなかなかいいものだと思う。終わりよければすべてよし、ということもあったし、チームを去る選手の最後の勇姿をしっかりと目に焼き付けた、ということもあったし。
最終節といえばやはり、いろいろな思い出があるものだ。
一番思い出に残るのは、やはりJ1昇格とJ2優勝を決めた2003年の最終節大宮戦なのだけれど、自分の中で次点に輝いているのは、1999年のFC東京戦なんだなあ。
目の前で昇格を決められた、あの1戦。自分たちの昇格の可能性は最終戦前に消えていたので、直接対決で決められた、というような悔しさはなかったけれど・・・。そうだな、正直、悔しいというよりは「うらやましい」っていう感情が溢れてきたのだ。
この時点で3位のFC東京は、うちに1-0でさくっと勝利。かたや勝ち点差1で2位の大分は、ロスタイムで山形に同点にされ試合は延長に。このときはVゴール制度があったので、どっちかが点を取ればそこで昇格チームが決まる。市陸の試合が終わっても、じっと大分戦の結果を待つFC東京ベンチとサポーター(バックスタンドに陣取っていた)。
お客さんがお帰りにならないのでは、ホスト側も帰るわけにはいかないので、お付き合いしてじっと待つ、アルビサポーター。これが、寒い。実に寒かった。でも、怖いもの見たさというか、野次馬根性というか、昇格するにせよ昇格を逃すにせよ、その瞬間のFC東京サポーターの様子を見てみたい、っていう気持ちが自分にはあったね。
結局大分の試合は、延長をフルに戦っての引き分け。
そのころは携帯で速報をチェックなんていうような文明の利器もなかったので、市陸の客席で待ってるサポーターには結果がわからない。おそらく、FC東京のスタッフには、会場の山形から電話連絡がはいったのだろう。市陸の建物内からFC東京のスタッフが飛び出してきた。がーっとバックスタンドに向けて走っていくスタッフ。そのあとから選手も飛び出してくる。
うわわぁぁぁああああああーーーー、絶対こりゃあサポーターもピッチに飛び出すわー。
「止めてくれーー、日本でも有数の美しいピッチを荒らさんでくれーーー!」
と叫びつつも、どっかで
「しょうがないよな、だって昇格だもんな」
とつぶやく心の声。
案の定、バックスタンドから飛び降りたサポーターと選手たち、スタッフたちが、抱き合って大喜びしている。「ピッチに降りないでくださーい」と静止するアルビレックス側のスタッフも、ちょっと及び腰(んなことないかw)
そのシーンは、本当にうらやましいものだった。
あまりの寒さに耐えかねて席を立ち、市陸脇の歩道橋の上からその様子を眺めていた自分は、
「あーあ、いいなあ(´・ω・`)」
とつぶやくのみだった。
このFC東京の昇格シーンを生で見たことは、自分にとって転機になったといえる。
選手たちがサポーターと抱き合って、勝利や昇格を喜び合っている。ともに戦ってきた同志として、ピッチ上にいる。
こんなシーンが、やがては自分たちのチームにも訪れるのだろうか。昇格決定のその瞬間に、選手たちはサポーターのほうに走ってきてくれるだろうか。その喜びを分かち合う相手に、サポーターはなれるのだろうか。
この場面に遭遇して、私のような気持ちになった人は少なくなかったのではないかと思う。
だって、翌年の2000年シーズンから、サポーターは変わり始めたから。
「スタジアムを盛り上げる応援」から「闘う選手を後押しする応援」へと、スタイルが変わっていったから。
もちろん、それですぐにチームが強くなったわけじゃない。
2000年は散々なシーズンで、最終戦には既に昇格を決めた札幌のサポーターが、チャーター便で大挙してやってきて、先制したのに終了間際に播戸の2得点で逆転されて、呆然とした中での最終戦セレモニーで、永井監督の胴上げに憤慨して(苦笑)etc.
ソリさんが来てからは
脳味噌が融解した2001年湘南戦の寺川Vゴール、とか
続投決定で幸福感が満ち満ちたスタジアムでの2002年水戸戦とか
昇格決定の2003年大宮戦とか
そんな幸福な時代が続きましたな。
J1に上がってから、最終節では勝ってないので、今年はぜひ勝ちたい、勝たせたい!
「40日間3位」の名にかけて!www