音楽・映画・本: 2007年12月アーカイブ
野次馬根性と言ってしまえばそれまでなのだが、DeoDeoな社長さんの件があったので、ちょっとサンフレッチェのことが気になっていた。それで、つらつら広島系ブログをうろついていたら、こんな本が目についたので買ってみた。
私の中にある「サンフレッチェ広島」のイメージといえば、バクスター監督がいて、高木やハシェックや盧廷潤がいて、J1でステージ優勝を果たして、フェアプレー賞を受賞・・・。いまだにその時代から脱却できていないのである。どんだけ~w
しかし、広島系のブログでこの本が紹介されているからには、広島のサポーターの中でもやはり盧廷潤という人の存在、あるいは彼が所属した時代というのは、忘れがたいものなのであろう。
本が書かれた2002年当時と現在では状況が変化している部分も多いし、著者の刈部さんの「思想」のようなものが表に出すぎて同意しがたいところもある。そのあたりを軽くいなして、盧廷潤のインタビューをじっくり読むとおもしろい。
そして、この本を読んでいて思い出した、ある事件があった。
盧廷潤と対戦したという鮮明な記憶があるのは、2002年の福岡時代。
あれです、反町監督をして「ワールドカップでも見られないような、すごいゴール」と言わしめた、弾丸ミドルを決められて負けちまったホーム、新潟スタジアムでの一戦。
Jリーグ開幕当初のような、スピードとパワー溢れるドリブル突破とかは見られなくなっていたけど、あのすさまじいシュート力には度肝を抜かれた。
で、事件はその3日後に起きる。
博多の森で行われた、モンテディオ山形戦。
結果は2-2の引き分けだったのだけれど、盧廷潤がPKを外して勝ち越しならず。
それに怒った福岡のサポーターの一人が、試合後に選手が挨拶に来たときに、韓国代表ユニフォームをピッチに投げつけた。
そのあと一部のサポーターが「監督を出せ」「盧廷潤を出せ」などと騒いでロビーに押しかけ、口論に。激怒した盧廷潤は、「決断しますよ」という退団をほのめかす言葉を残して「以前からの怪我の治療のため」渡独する。
最終的に、盧廷潤は2週間ほどで帰国してサンフレッチェの練習に戻る。
クラブ側が、ユニフォームを投げ入れた少年と、少年が所属する応援団体のリーダーに「1年間の観戦禁止」処分を課したこと、クラブ側の説得に盧廷潤も冷静になったこと、などが早期に問題を解決する要因になったようだ。
思い出せばこの事件は、かなりショッキングな事件だった。
負け試合でサポーターが暴れる、ピッチに物を投げ入れる、なんていうことは(決していいことではないが)よく目にする光景だったのだが、このときのように「サポーターの行動が原因で選手が退団してしまう!?」などというのはJリーグでは前代未聞のことだったと思う。
たしか、翌日に当人たちが謝罪にクラブハウスを訪れたが、盧廷潤は彼らとの面談を拒否した、という記憶がある。
韓国代表ユニを投げ捨てたのは「少年」であり、盧廷潤のファンだったという。それが、まわりのサポーターの雰囲気に流され、「国旗のついた代表ユニフォームを投げ捨てる」ということがどういう意味を持つのかを全く考えもせずに、怒りにまかせてやってしまった行為だ、と本書にはある。
そうなのであれば、せめて回りに、彼の行為を止める大人がいなかったのだろうか。あるいは彼の周囲にいたのは、ピッチやロビーに乱入するような、善悪の区別もつかないような大人ばかりだったのだろうか。
もちろん、たった一度のサポーターの行為が全ての原因、ということではなくて、「なかなか落ちない」とお守りにまでなったアビスパ福岡がついにJ2に降格、といったチーム事情の中で、サポーターの側のフラストレーションがたまっていたのだろうとは思う。この本を読むと、2002年J2開幕戦からしてすでに監督批判の断幕がはられ、一部サポーターからはクラブ批判のコールがあがっていたと言うから。選手とサポーターの間の関係も、きっとよくない状況が続いていたのだろう。
しかし、母国を侮辱するといったような、選手の誇りや尊厳を傷つける行為は、決して許されるものではない。暴力や威嚇行為もまた、人間の尊厳を傷つける行為であり、選手とサポーターの間の信頼関係を破壊する行為である、という点は共通であろうと思う。
まったくもって、二度と起こってほしくない事件だ。
だからこそ、決して忘れてはいけない事件なのだ、とも思う。
広島の栄光と挫折の軌跡を探るための読書だったのに、やれやれ、とんだ寄り道をしてしまったわい・・・